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【連載】サイドバックから考える現代サッカー~時代や戦術に翻弄され、求められた“ハイブリッド化”

 「後半もマルセロが出ていたらどうなっていたか?繋げるサイドバックが出ていたら、また後手に回っていたかもしれない。」


 11月10日、フランスで行われたブラジル戦で前半に3失点を喫した日本代表のFW原口元気が発した言葉だ。“王国”の左サイドバックを務めるマルセロ(レアル・マドリー/スペイン)は前半のみの出場で交代したのだが、SBながらゲームメイカーのような大きな存在感を放っていた。

 現在のSBは、「守備をするだけではいけない時代」を経て、「攻撃と守備でタッチライン際をアップダウンし続ける時代」も越えた。ワイドの開いたポジションでパスの“受け手”になるだけでなく、マルセロのようにパスの“出し手”となる選手も現れた。もはや、「攻撃的SB」と表現するだけでは、その選手の持ち味を正確に把握できない時代なのだ。

 ブラジル代表ではそんな「ゲームメイカー」マルセロもいれば、ダニエウ・アウベス(パリ・サン・ジェルマン/フランス)のように高い位置をとるウイングのような選手もいる。ベルギー代表のヤン・フェルトンゲン(トッテナム/イングランド)のように本職はセンターバックの選手もいる。そして、戦術的に最先端を走るマンチェスター・シティでは、MFのファビアン・デルフが左SBを務めたことが“ラストピース”となって快進撃を続けている。

 GKにも足下の技術が要求され、FWも「最初のDF」として守備のタスクが必須となった現代サッカー。その中で最も進化したポジションと言えるサイドバックは、如何なる進化過程を辿って来たのか?

 『【連載】サイドバックから考える現代サッカー』。SB誕生の歴史を世界各国からの視点で振り返った前回を経て、今回は進化し続ける現代サッカーに翻弄されながらも、ハイブリッド化されたSB。その上で攻撃力を求められるようになった要因を、近現代のポイントごとに考察していこう。

【バックナンバー】『【連載】サイドバックから考える現代サッカー』

≪第1回≫「世界のイチローのように固定概念を覆す!」
≪第2回≫「SB誕生の歴史的背景」

“花形ウインガー”全盛の時代=守備の人

 サッカーは自由さと曖昧さが入り込む“余白”があるスポーツだ。それゆえ、その国の文化まで反映されるため、世界各国で愛され続けている。ただ、世界各国の視点や角度によって捉え方も異なるわけで、SB誕生の歴史は欧州と南米では特に異なっていた、という話が前回までの流れだ。

 その後、1958年に行われた第6回・W杯スウェーデン大会で17歳の“王様”ペレを擁したブラジルが初優勝。その魅惑の攻撃サッカーと<4-2-4>のフォーメーションが全世界に普及していった。もっとも、普及したのは4バックだけと言えなくもないが。

 WMフォーメーションから始まり、4バックも普及するとなると、中央突破は難しい攻撃だと考えられた。ただ、サイドでは1対1になる局面が多いこともあり、この頃からサイド攻撃に焦点が集まり始めた。その「1対1の攻防をどう魅せるのか?」が各国の色となり、欧州ではスピード、南米ではテクニックでDFを翻弄するウインガーが注目を浴びる時代となった。サイドを主戦場とするジョージ・べストやガリンシアがスターになったのは時代の流れなのかもしれない。

 そんな華麗な個人技や爆発的なスピードで突破を図るウインガーとマッチアップするのがSBだった。当然、SBの最重要タスクは「ウインガーを止める守備」であり、それゆえスピードや敏捷性が求められた。当時のSBは完全に「守備の人」だった。