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オスマン帝国からの独立期(1912年)には貧困や紛争を逃れ、多くのアルバニア人男性がアメリカ東海岸(主にマサチューセッツ州ボストンなど)へ出稼ぎに大西洋を渡る。一次大戦後、ヨーロッパの列強はアルバニアの国土を隣国のギリシャやセルビアに分割·解体しようとした。しかし、民族自決を掲げて猛反対し、アルバニアの独立と国境を守り抜いたのがアメリカのウッドロウ·ウィルソン:Woodrow Wilson【1856年12月28日生-1924年2月3日没】大統領。
二次大戦中の1941年、コソボの大部分はイタリアの保護領だったアルバニア王国に編入されていた。それが戦後エンヴェル·ホッジャ:Enver Hoxha【1908年10月16日生-1985年4月11日没】の共産主義政権誕生にともない、迫害を恐れたアルバニアの政治難民がニューヨーク、シカゴ、デトロイトに。80年代まで続くホッジャの鎖国期に入ると逃亡は不可能。逆に60年代ユーゴスラビアの規制が緩和されたことで、コソボから出稼ぎ労働者や家族支援ビザを取得した人々の渡米が相次いだ。
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バスターミナルから中央部に歩を進めるとクリントン通りに。左を向いた高さ三メートルの銅像も確認できる。
ビル·クリントン:Bill Clinton【1946年8月19日生】政権初期のソマリアでの失敗が、ルワンダでの不介入を招き、その反省から遅ればせながらボスニアで方向転換。コソボでの積極的な人道的介入に賛否はあるが少なくともプリシュティナでは救世主や英雄扱いされ今も崇められているのを実感できた。
深刻な高齢化は先進国共通のお悩み。しかし統計によると平均年齢は約三十歳。人口の約七割が三十五歳以下というコソボ。NEWBORN:新生を意味する七文字のモニュメントの後ろにスタディウミ·ファディル·ヴォクリの照明塔が入るところまで下がってシャッターをきった。代表チームは同国の明るく未来を照らすこの国の象徴なのかもしれない。〖第百八十四話了〗
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⏹️写真/テキスト:横澤悦孝 ⏹️モデル:白石るりか