184〗Stadiumi Fadil Vokrri / プリシュティナ

スロボダン·ミロシェヴィッチ:Slobodan Milošević【1941年8月20日生-2006年3月11日没】により’89年にコソボから自治権が剥奪され民族的抑圧の激化はピークに達した。アルバニア人の警察官は皆、解雇され超法規的な暴行と拷問、殺害までもが多数報告されたのだから、当時既に人口の九割を占めていたアルバニア系住民が当然猛反発。ジャーナリストでコソボ作家連盟の会長だったイブラヒム·ルゴヴァ:Ibrahim Rugova【1944年12月2日生-2006年1月21日没】の指導のもと、選挙や納税をボイコットするなど非暴力で反攻する。当時ルゴヴァのコソボ政府に資金を援助したのは主にドイツとアメリカを拠点とする海外のコソボ系アルバニア人ディアスポラ(海外移民·二世)。ヴォクリは「これ以上こんな所にはいられない」とフランスのニームへの移籍を決断。FCプリシュティナのクティム·シャラ:Kujtim Shala【1964年7月13日生】もディナモ·ザグレブへと移籍。シャラは翌90年にはクロアチア代表の初の国際親善試合後に招集されている。ユーゴスラビアリーグでプレーしていたコソボ出身のアルバニア人選手の多くはプレーを拒否。セルビア当局に承認されない独立リーグを立ち上げて劣悪な環境の中でも独自の大会を継続する茨の道を選んだ。
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FIFA規則改正十年 頭角を現したバルカンの新星

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加盟が認められて十年の節目。かつて紛争を理由に欧州各地に移住した選手やその子孫たちが、ルールの変更によってコソボ代表としてプレーできるようになったのが2020年9月。FIFAは代表資格に関する大幅なルール改正に踏み切る。それまでは公式戦(Aマッチ)に1試合でも出場すると、二度と他国の代表へ変更することはできなかったのが五つの条件をすべて満たせば、他国代表への変更が可能になったのだ。条件は以下。

① 最初の公式戦出場時、既に変更を希望する国の国籍を所有持していた。
② 最初の公式戦出場時は二十一歳未満であった。
③ 公式戦での出場が通算三試合以下である。
④ 世界大会や大陸別選手権の本大会での出場がない。
⑤ 最後の公式戦出場から三年以上が経過している。

このルールならば、若い頃に他国の代表に選ばれたものの、その後招集されていないコソボにルーツを持つ選手たちが、コソボ代表として国際舞台に復活できる。欧州の主要リーグでプレーするディアスポラの選手たちが代表に集結したコソボ代表の躍進が始まる。

あの日あの時は■2026年9月25日UEFAネーションズリーググループB第一節コソボ代表対アイルランド代表。

試合前にお馴染みの集合写真。ゴール裏にフォトグラファーは散る。1-0で勝利したコソボ代表はアイルランド代表を1-0で破り、78位から77位へ上昇。
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