Foot ball Drunker 〔103〕『Stadion im Borussia Park』メンヒェングラートバッハ / ドイツ

U25日本選抜のデンマーク遠征

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卵が先か鶏が先か。AFCアジア杯決勝はヨルダンとの中東対決となり大いに盛り上がる中、開催国カタールの連覇での閉幕を迎えた。筆者は初戦シンガポール戦、日本代表名波浩:Hiroshi Nanami【1972年11月28日生】コーチが旧師との再会で見せた笑顔でお腹いっぱい。地上波中継もないのだからこの試合でいち早く燃え尽きた。放映権料の高騰やネット配信の急伸など取り巻く環境が時代と共に変わるとはいえ、地上波中継がなくなったからアジア杯への注目度が下落したのか、アジア杯の関心が低いから地上波中継がなくなったのか。


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名波コーチの現役時代に、バルセロナ五輪世代とアトランタ世代混合のU25代表(選抜)なるチームを編成しデンマークに遠征したのは1995年。
同国の強豪クラブと対戦しているが、当時の状況では、機会の少ない本場·欧州での経験は、予算を費やす価値は充分あったと思うのだがもはや誰も覚えていないか。

日本対イラン戦では戦犯扱いされてしまい、少々気になったのが板倉滉:Ko Itakura【1997年1月27日生】。10日[21節]のダルムシュタット戦にはフル出場。7節マインツ戦以来、四か月振りとなるブンデスリーガ公式戦で無失点に貢献する姿を見れたのだからABEMAには感謝。


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第102話はボルシアパルク。ダルムシュタット戦の入場者数は4万6千。取材した昨季最終戦は6万人収容の器に5万2千を超える観客を動員。メンヒェングラートバッハ:Mönchengladbachの人口はおよそ26万人。
カバー写真の銘柄は王を意味するケーニッヒ·ピルスナー。ノルトライン=ヴェストファーレン州デュイスブルグで醸造が始まったのは1858年。州都デュッセルドルフに、ケルン·ドルトムント·エッセン·デュイスブルグと人口50万人規模の五大都市を抱える同州。実際スタジアムに足を運んで気づいたのだが、メンヒェングラートバッハ市外から列車で駆け付けるファン·サポーターも結構多い。


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現在チームの“顔”は、スイス代表ディフェンダー、ニコ·エルヴェディ:Nico Elvedi【1996年9月30日生】。板倉と同年齢(学年)ながらチューリッヒから国境を越えたのは2015年。当時 18歳で10月のインゴルシュタット戦がブンデスリーガデビュー戦。その前のセカンドチームでも出場しており、これまで胸に菱形のエンブレムを着けての出場数は299試合。次節で大台記録達成は確実と思われる。
特筆すべきは加入初年度12月のUEFAチャンピオンズリーグ(CL)、マンチェスター·シティ戦でのスタメンフル出場だろう。
再び欧州最高峰の舞台を踏むまで五年程かかる。コロナ禍での開催となった20-21シーズンのCLグループステージ(GS)初戦の相手はインテル。マルクス·テュラム:Marcus Thuram【1997年8月6日生】が獲得したPKをラミ·ベンセバイニ:Ramy Bensebaini【1995年4月16日生】が冷静に決めて同点。互いに勝ち点を分け合うと、ホームではスペインの《白い巨人》を迎え撃つ。この試合はテュラムの2ゴールで完勝の展開から残り3分、2ゴールを奪われる悪夢のドロー。ボルシアパークに怒号と悲鳴が交差しなかったのはこの試合が無観客開催だったから。エルヴェディは二試合ともフル出場。この前半の貯金が効いてGSを突破。ベスト16で対戦したのが、またもやシティ。英独間の移動禁止によりブダペストでの開催となったが番狂わせとはならず。前身のヨーロピアン杯時代まで遡れば1976年決勝まで駒を進めている古豪。


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