153〗Stadion Aldo Drosina / プーラ

試合会場のプーラまでは約二時間。リエカを出たのはキックオフの笛を主審が吹いた頃だったか。軍港、貿易港としてかつては栄えたプーラのマリーナ。ハプスブルク家の皇族らが夏にはバカンスで訪れていたのが、プーラから南方向へフェリーで約二時間二十分で着く癒しの島ロシュニ島。
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イストリア半島の南端に位置するプーラは古代ローマの歴史と文が息吹く港町。高さは32.5メートル、四階建ての壮麗な外壁の円形闘技場。この位置からだと二十世紀初頭に建てられたロマネスク建築の教会が頭だけ覗かせていた。90年代ユーゴスラビアの分裂とクロアチア独立において、イストラ半島は市街地戦の被害は免れている。しかし二次大戦後、一度国連管理下に置かれ占領地として分割統治されユーゴスラビア連邦のクロアチア社会主義共和国に統合された時は、プーラで暮らす九割以上がイタリア人。和平条約締結後、二十五万から三十万人ものイタリア人が母国へと大量に逃れたのが世に言うイストリア=ダルマチア脱出。ファシスト政権下では文化や言語の違いから抑圧され苦しめられたクロアチア人による悍ましい復讐劇。中でも歴史の闇に封印されたのがフォイベ虐殺だった。
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