153〗Stadion Aldo Drosina / プーラ

イストリア半島の南端に位置するプーラは古代ローマの歴史と文が息吹く港町。高さは32.5メートル、四階建ての壮麗な外壁の円形闘技場。この位置からだと二十世紀初頭に建てられたロマネスク建築の教会が頭だけ覗かせていた。90年代ユーゴスラビアの分裂とクロアチア独立において、イストラ半島は市街地戦の被害は免れている。しかし二次大戦後、一度国連管理下に置かれ占領地として分割統治されユーゴスラビア連邦のクロアチア社会主義共和国に統合された時は、プーラで暮らす九割以上がイタリア人。和平条約締結後、二十五万から三十万人ものイタリア人が母国へと大量に逃れたのが世に言うイストリア=ダルマチア脱出。ファシスト政権下では文化や言語の違いから抑圧され苦しめられたクロアチア人による悍ましい復讐劇。中でも歴史の闇に封印されたのがフォイベ虐殺だった。

第百五十二話はNKイストラ1961の本拠地スタディオン·アルド·ドロシナ。あの日あの時は■2017年12月4日フルヴァツカ·ノゴメトナ·リーガ第十八節NKイストラ対NKルディシュ。。収容人員9,800人のスタジアムに観客は六百人。
クロアチアの中位以下ならばこの程度。
十一月最終週の十七節はホ-ムで三連勝と好調の首位ディナモ· ザグレブ相手に1-1のドローのルディシュ。対して連敗を二で止めたいイストラの試合は開始八分センターバックのカルロ·ルリッチ:Karlo Lulic【1996年10月5日生】のゴ-ルでアウェーチ-ムが先制。十代でサンプドリアに所属した際はベンチ入りを経験しておりクロアチアU21代表にも招集されている。
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それでもこの日はデヤン·マクシモヴィッチ:Dejan Maksimovic【1995年11月10日生】が躍動。先制弾に続き決勝ゴ-ルもアシストで逆転劇の主役に。前年にはモンテネグロU21代表との親善試合にボスニア·ヘルツェゴビナU21代表の十一番を背負って出場している。写真は十九節のディナモ戦で撮影。後半開始四分、マクシモヴィッチが頭で一矢報いるも5-1で大敗したを喫した。

この試合の先制点を決めたのはニコラ·モロ:Nikola Moro【1998年3月12日生】。フリーキックで直接ネットを揺らした現クロアチア代表。その横で親しげに会話をしていたのはディノ·ハリロヴィッチ:Dino Halilovic【1998年2月8日】。

チリでの世界大会から二年 厳寒のザグレブで火花を散らす若武者たち

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モロと同年齢でポジションも同じ。そもそもザグレブ出身のハリロヴィッチはディナモのユースアカデミーで苦楽を共にしてきた仲。2015年のU17欧州選手権予選(三月)から五月の本選。更に秋のU17ワ-ルドカップまでこの世代の主軸はモロ。背番号十をつけトップ下に君臨し主将も勤めドイツを下して世界八強まだチ-ムを牽引した。ハリロヴィッチも本選から代表入りし初戦ブルガリア戦は途中出場するとスペイン戦にはスタメンで出場。五日間で三試合目とあってこの日はモロもベンチで一休み。
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ひとつ前の写真でマクシモヴィッチと対面している左サイドバックはモロに代わって主将章を巻いたボルナ·ソサ:Borna Sosa【1998年1月21日生】は三試合連続のスタメン。対するスペインの左サイトハ-フは当時バルサのダニ·オロモ:Dani Olmo【1998年5月7日生】。まさか二年後にソサやモロと同僚となり、ハリロヴィッチと対戦しているとは思いもしなかっただろう。ちなみにハリロヴィッチはトップデビューする前年(2016–2017)は、ウディネーゼのユースで武者修行していたから’21年にデンマークのエスビャウfB移籍が初めての国外というわけではなかった。