Foot ball Drunker 〔77〕visiting 『Stadio Pier Luigi Penzo』 ヴェネツィア / イタリア

こんな島でも子ども達にまぜてもらって一緒にボールを蹴る。カルチョの国の東端でロッソネロの縦縞。「ヴェネツィアは着ないの?」と聞くまでもない。聞いたら鼻で笑われる。
それでも小学生の息子と揃いで着ているのはSSCヴェネツィアのレプリカ。土産に買って来た途端にクラブは破産。FBCウニオーネ·ヴェネツィアとして新たにセリエD(四部)からの再スタートがきられた。

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地元ヴェネツィアっ子が見向きもしない派手なオレンジ·緑·黒の派手なレプリカを購入したのは1999年名波浩:Hiroshi Nanami【1972年11月28日生】現日本代表コーチがACヴェネツィア1907に在籍したから。19年の歳月を経て、遂にセリエAに戻ってきた2021年。ユニフォームのサプライヤーもNikeから自国のKappaへ。ニューヨークの《FlyNowherek》とのコラボ作品は実にスタイリッシュ。
本年森保一:Hajime Moriyasu【1968年8月23日生】率いる日本代表入閣後、名波コーチの評価が高い。現役時代さながら森保が守備、名波が攻撃を掌握する手法は理にかなっている。

この二人の現役時代、大きな糧となったのはネッラズーリとの対戦。1993年2月20日、十数年ぶりの寒波に見舞われたレッチェでの親善試合。重馬場のピッチでサルバートレ·スキラッチ:Salvatore Schillaci【1964年12月1日生】と激しくやりあう森保をVHSテープが摩りきれるほど見た。


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森保とスキラッチがピッチ上での再会を果たすのは1995年4月15日のJサントリーシリーズ第9節。この磐田での試合は森保vs名波
の初対決でもある。
一方名波のヴェネツィアがピエル·ルイジ·ペンツォでインテルに勝利した’99年10月17日のセリエA第6節。名波とロベルト·バッジョ:Roberto Baggio【1967年2月18日生】のファンタジスタ対決が日本でも注目される中、背番号7は4-4-2の左ハーフでスタメン。

終始守備に奔走したが貴重な勝ち点3を獲得。天才的なプレーメーカーながら、勝つためには泥臭い仕事もなんら厭わない。本人曰く「ドゥンガ魂」で堪え忍んだ当時の世界最高峰での経験が後進の育成に役立っている。
ちなみに今回77話なので7番ナナミ。冒頭のドーロも、昭和のオヤジはしょうもない駄洒落を言わずにいられない。

森保がマツダSC東洋=サテライトに加入したのは1987年。ハンス·オフト:Hans Ooft【1947年6月27日生】が抜擢をする。’95年順天大からジュビロ磐田入りした名波の師もオフト。
このオフトの法則からすると、森保の右腕が名波なら左腕は、オフトが浦和レッズで指揮を取った2002年加入の長谷部誠Makoto Hasebe:【1984年1月18日生】になる。


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