121〗Stade de Gerland /リヨン

1966年にボビー·ヘブ:Bobby HebbがリリースしたのはR&B/ソウルの名曲『Sunny』。この曲は三年前に既に作られており、
テネシー州ナッシュビルのナイトクラブ周辺で、ボビーの六歳上の兄であるハロルドがナイフで刺殺された事件が創作の背景にある。明るく陽気で前向きな性格を表す言葉Sunny disposition。実際サニーという名前のアメリカ人は多く、猪木が’64年のアメリカ修業時代=に指導を受けたのがサニー·マイヤース【1924年1月22日生-2007年5月7日没】だった。『Sunny』は自分の中でリズム・アンド·ブルース:R&Bの代名詞となった。アフリカ系アメリカ人によるレイス·ミュージックからの流れは欧州にはないアメリカらしさを感じ、小学生の自分の中でヘブはアリと並んで格好いい黒人の象徴となっていた。
その後カ-ペンターズやアバをラジオで聞いているとボニーMの『Sunny』が流れてきた。ヘブのオリジナルが耳にこびりついていたからエコーのかかったきらびやなサウンドはあまり好きにはなれなかった。あれから五十年を経てYoutubeでボニーMの映像を見て腰を抜かすほど衝撃を受けた。当時アバの映像は日本のテレビ画面で頻繁に目にする機会はあったのにボニーMは刺激が強過ぎてタブーとされていたのだろうか。ほとんどテレビで見た記憶がない。『ゴ-ゴ-!ラスプ-チン』で跳ねている元気なおっさん、そんな微かな記憶は頭からぶっ飛んだ。ホビー·ファレル:Bobby Farrell【1949年10月6日生-2010年12月30日没】は、マイケル·ジャクソン:Michael Jackson【1958年8月29日生-2009年6月25日没】が登場するまでは間違いなく、世界最高のショ-ダンサーだったのである。

半世紀を経て知ったボニーMの衝撃
永遠に輝くジャマイカの歌姫

ドイツのミュージシャン、フランク·ファリアン:Frank Farian がプロデュースした『ダディ·クール』はボビ-の口パクMCとコーラスが絶妙に絡みあい英国でも大ヒット。そして『Sunny』でリードボーカルを務めたリズ·ミッチェル:Liz Mitchell【1952年7月12日生】には六十過ぎのジジイが鼻血が出そうなほど衝撃を受けた。イギリス領ジャマイカのクラレンドン教区に生まれたミッチェルが家族とイングランドのハーレスデンに移住したのは十一歳の時。その後西ドイツではレス·ハンフリーズ·シンガーズの一員に。当時二十五歳のリズの映像を片っ端から探して試聴する事に。ビジュアル重視のためlip sync=口パクのものが大半であるが、生の歌声が聞ける貴重な映像もあった。五十年前のリズは個性的な声質もさることながら、ルックスが抜群に良い。ボビ-との絡み以外でもチャーミングな笑顔を絶やさない。しなやかな肢体が繰り出すダンスも驚く程うまい。彼女のリズム感の根底にあるのは生まれ育ったジャマイカの環境と体内に受け継がれた血。
◇◇◇◇◇
>BONEY M →youtube『Sunny』1976

大航海時代、先住民を一掃したスペイン人がサトウキビ農園の労働力としてアフリカから多くの黒人奴隷を移住させた。ジャマイカの暗黒の歴史は他の中南米カリブ諸国と変わらない。鉱物資源が乏しいこともあってスペイン人が手放し十七世紀以降は英国の植民地に。1962年に独立した同時期、スカ:Skaが発生したのを皮切りにジャマイカ特有の音楽文化は世界に影響を及ぼし、音楽大国としての地位を確保した。今ならばジャマイカ人と聞いてまず頭に浮かぶのはボルトでもウィットモアでもなく五十年前に降臨した黒い女神リズ·ミッチェルになった。しかしネットは頼みもしないのに、80年代、21世紀から現在までリズの情報や画像が流してくるから余計なお世話。今更七十過ぎのババアに興味はない。頭の中にストックするのは’76年の『Sunny』を歌うリズだけで充分なのである。〖第百二十一話了〗
◇◇◇◇◇


◆◆◆◆◆