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リオ五輪OA枠内定の広島DF塩谷司〜Jリーグ最”攻”のDFが世界へ挑む!

 その柱谷氏が2011年度からJ2・水戸ホーリーホックの監督に就任。愛弟子・塩谷を引き連れて指揮に入った。

 そこからは柱谷監督の下でプロ1年目からレギュラーに定着し、リーグ35試合に出場。182cm80kgという恵まれた身体能力の高さや1対1の強さだけでなく、DFとは思えないプレー範囲の広い規格外の選手に成長した。

 1年目からすでにJ2レベルでは収まらない塩谷のポテンシャルにはJ1クラブからも注目。シーズンオフには残留したものの、2012年の夏に広島への移籍を決意した。

 複数オファーの中から柱谷監督の勧めもあって広島を選択するに至ったが、柱谷監督は共にドーハで日本代表としてプレーした広島の森保一監督には、「塩谷が日本代表になれなかったらお前の責任だからな。」と釘をさすほどの思い入れで指導していたのだ。

 ただ、広島はJリーグの中でも最も戦術的に難解な<3-4-2-1>の可変型フォーメーションを2008年から継続しているチーム。特にキャリアを通して戦術面ではあまり緻密な指導を受けず、固定概念に縛られずに成長を遂げた塩谷にはそれが難解だった。

 チームが2012年にクラブ史上初の主要タイトルとなるJ1リーグの優勝を成し遂げる中、塩谷は半年間でリーグ戦での出場は3試合に終わった。

4年間で3度のリーグ優勝と日本

 しかし、日本代表に成長したDF森脇良太が2012年限りで浦和レッズへ移籍する事を見越していた事もあり、クラブも森保監督も塩谷のポテンシャルには常に期待を寄せていた。

 2013年、森脇の抜けた3バックの右CBとしてレギュラーに定着した塩谷は、リーグ戦全34試合に出場。さらにリーグ最少の29失点に抑えて、最終節には大逆転してのリーグ連覇の偉業達成に大きく貢献した。

 翌2014年には序盤戦から自ら得点を量産して注目を浴び、ハビエル・アギーレ監督時代には遂に日本代表にもデビューした。

 迎えた2015年には広島の副将に就任。FW浅野拓磨、MF野津田岳人(アルビレックス新潟へレンタル移籍中)等、若手攻撃陣の台頭を促す兄貴的存在感をピッチ内外でも見せるようになった。
 
 チームは浅野の急成長に刺激を受け、森保監督の「成長しながら結果を出す」事を体現する事に成功。結果としてリーグ最多得点と最小失点となる73得点30失点で、J1リーグが18チーム制となった2005年以来のリーグ史上最多勝点74を獲得。Jリーグチャンピオンシップも制し、直近の4年間で3度目のリーグ優勝を成し遂げた。

ワンランク上の「割り切り」と「柔軟性]を示す!

 リオ五輪代表となるU23日本代表の手倉森誠監督は、「このチームに求めるのは、“割り切り”“柔軟性”というコンセプトを掲げている。

 確かに、彼らは「割り切り」と「柔軟性」でアジアを制してリオ五輪への出場権を獲得したが、一方では割り切るのが早過ぎて引き過ぎてしまい、試合をコントロールできない事がよくある。