Foot ball Drunker 〔110〕visiting『 Jan Breydel Stadion 』ブルッヘ / ベルギー

ピッチサイドに硬い表情のマタイセン

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昨日は23日国際気象デー。クラブ·ブルッヘでは23は永久欠番とされる特別な数字。日本では僅かに降る雨を涙雨と表現するが、
このスタジアムは本物の涙で溢れた日あった。

前回に続きヤン·ブレイデル·スタディオン。前回のカバー写真がグラスにビールなら今回はビールのお供フリッツ。クラブ·ブルッヘを取材したのは2015年10月28日。ジュピラープロリーグ第13節の相手はオード=ヘーヴェルレー·ルーヴェン。二万九千人収容のスタンドは平日開催でも八割埋まっているベルギー屈指の人気クラブ。

1891年の創立以来、国内外の名将がブラウ·ズワルトを指揮している。傑物エルンスト·ハッペルの70年代は知るはずもなく、個人的には2007年就任のジャッキー·マタイセン:Jacky Mathijssen【1963年7月20日生】と後任のオランダ人アドリー·コスター:Adrie Koster【1954年10月18日生】[2009就任]の二人が強く印象に残っている。

そしてこの日OHルーヴェンを率いて古巣の本拠地のピッチサイドに立ったのがマタイセン。レンズを向けると、かつてブルッヘとルーヴェン両クラブのユニフォームを袖を通した若きストライカーの記憶が蘇り、彼の心情を察すると居た堪れない気分に。

大岩剛:Go Oiwa 【1972年6月23日生】監督率いる五輪日本代表は、本日(25日)、U23ウクライナ代表と北九州で対戦する。一年前の3月27日、スペイン遠征の二戦目でマタイセン監督のU21ベルギー代表と対戦。2-3のスコアで敗れている。
2019年のSBS杯では来日しているマタイセン氏。昨年6月のUEFA U-21欧州選手権ではポルトガル代表、オランダ代表、ジョージア代表との結果は1分2敗のグループリーグ敗退。トップリーグの強豪クラブよりも若者を指導するほう

訪問した2015年は大手空調総合メーカーのダイキン工業がメインスポンサー契約を結びユニフォームの胸にDAIKINの六文字が入っていたのだから同胞としては誇らしい。好待遇で歓迎され日本企業の恩恵に与った次第。
同社がブルッヘ近郊のオーステンデに現地法人を設立したのは1972年。翌73年から空調機の生産がスタートした。昨秋の50周年記念式典に日本政府から来賓も招かれるなど肝胆相照らす仲。

プレスルーム内を撮影するとガラスケース内に日本人形。1981年のジャパンカップキリンワールドサッカーで来日したブルッヘ。6月10日旧国立でインテル·ミラノとの青黒対決を制し優勝した際の記念品と思われる。


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ヤン·ブレイデルでの試合はホームチーム1点リードで折り返し、後半14分マタイセンが動く。二枚替えは共にフォワード。当時ルーヴェンで唯一聞き覚えのある名前。表示されたのはヨルダン·レマクル:Jordan Remacle【1987年2月14日生】。

2006年8月エールディビジ開幕戦でアヤックスはRKCヴァールヴァイクに5-0圧勝の好スタート。この試合3点差を追うヴァールヴァイクの指揮官アドリー·コスターは、後半15分に19歳のベルギー人フォワードをピッチに送り出す。オランダデビュー戦は何もできず試合終了のホイッスル。相手がアヤックスでは気の毒としか言いようがない。
成績不振を理由に一年で解任された外様をアヤックスがユースアカデミーに迎え入れトップチームまで任されたから箔も付く。

2009年4月8日前述のとおりブルッヘ監督就任。その後オランダU20とU21代表、また2015年から18年まではサウジアラビアで指導者に。リオ五輪予選を兼ねたU23アジア選手権一次リーグ(2016年1月カタール·ドーハ開催)で手倉森ジャパンに敗れている。