64〗Grigoris Lamprakis Stadium / アテネ


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中盤の底でのバランサー、ゲームメークにも長けたマティージャ、攻撃は内·外·前でフィニッシャ-もこなすモウティーニョ。このイベリアコンビはスペイン語で意思の疎通も問題なしだろう。ところがである。後半の開始僅か二分、前半一枚イエローが出されていた右サイドバックにこの日二枚目が突きつけられた。仕方なくトップ下を削り三人目の交代でディフェンスの枚数をキープする采配。ドローで上出来のこの展開で後半開始15分モウティーニョがゴール。この虎の子の一点を一人少ないながらも三十分間粘り強く守りきった見事な勝利。南部グループを首位でフィニッシュして南北上位五チーム計十チームによるプレーオフで優勝。十八年もの歳月を要して返り咲いたGSLだったのだが。
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キプロスからフランス人が参戦 あの日パリは燃えていたのはマルセイユサポ-タ-

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昨季新加入の大物はマテュー·ヴァルブエナ:Mathieu Valbuena【1984年9月28日生】。実は昨春カリテアの試合の前週にキプロスのアポロン·リマソルでの変わらぬ雄姿を撮影していた。2006年からの八年間で三百三十試合に出場したオリンピックマルセイユの顔。次に長く在籍したのが’19年から四年在籍したオリンピアコス。そういえば彼もマルセイユ時代にはアスピリクルタと同僚だった。二人の顔が並んだ表紙の写真。フランスで最もポピュラ-な麦酒のクローネンブルグ缶も添えてみたが、注目は缶の右端の漢字。北京大興国際空港のコンビニで購入した。中国を侮るべからず。’12年のリーグカップ決勝はリヨンとのオランピコ。
ディディエ·デシャン:Didier Deschamps【1968年10月15日生】監督が有終の美を飾り、OMサポーターは確かにこの日パリで燃えていた。
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1936年夏季オリンピックの男子走り幅跳びと男子三段跳びでギリシャ代表として出場したアスリ-トの一面。アテネ大学医学部を卒業し母校の教授職にも。正に文武両道とはランブラキスのためにある言葉。第二次世界大戦中のナチス·ドイツ占領下においてはレジスタンス運動にも参加していた。
平和と民主主義の象徴として浮上したのが Z の文字。小説のタイトルでもあるギリシャ語の Ζει (Zi)は《生きている》を意味する。ランブラキスの悲報が伝わるとアテネ市内の至るところで、Zの落書きで壁面が覆われる光景が。欧州各国リーグで目にするのがブラジル人とポルトガル人プレーヤー。スペインも自国のリーグのレベルが高いため国外へと旅立つ若者は珍しくない。しかしアテネのスタジアムでモウティーニョとマティージャをフレームに収めながら、ふと頭に浮かんだのは、スペインのフランシスコ·フランコ:Francisco Franco 【1892年12月4日生-1975年11月20日没】、エスタド·ノヴォ(ポルトガル語で新しい国家を表す)、そしてギリシャの軍事政権。欧州三カ国の独裁政権がまるで足並みを揃えたように、’74~75年崩壊していった歴史のひとコマ。原作者のヴァシリコスはギリシャから逃れ、イタリア、フランス、ニューヨークと移住を繰り返した。アンドレアス·パパンドレウ:Andreas Papandreou【1952年6月16日生】政権下で国営テレビ局の副局長を三年間務めると’96年から’04年まではユネスコのギリシャ大使にも。九十歳で天に召され、ソプラノ歌手の夫人とお子さまに見送られ、アテネ第一墓地に埋葬されている。
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