ロンドン西部の市民クラブを支えるみつばちのサポ-タ-
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1904年9月1日にオープンしたグリフィン·パーク。ブレントフォードFCの創立は1889年。ロンドン西部と聞けば高級住宅街を想像されるだろうが、テムズ川を南側に越えれば工場だらけ。労働者階級層のエリアとなる。2006年にはコミュニティ組織のビーズ·ユナイテッド(BU)がクラブを買収。サポ―ター達とコミュニティスポーツトラスト、地元の商工会議所(Brentford Chamber of Commerce)の三本柱によってクラブは辛うじて支えられていた。コミュニティスポーツトラストでは年間、六千件以上ものフィットネスなど健康維持の指導や教育、またメンタリングセッションを地域住民に提供していた慈善団体。かつて茅場町には山一証券の本社ビルがあった。戦後最大の証券会社が廃業して久しい。数学理論をフットボール界に持ち込み、プロギャンブラーとして巨額の富を手に入れたスマートオッズ社のマシュー·ベナム:Matthew Benham【1968年5月生】。1989年名門オックスフォード大学を卒業した彼が就職したのは山一證券のロンドン現地法人、ヤマイチインターナショナルだった。当時から先見の明に優れていたのかもしれない。元オーナーのロン·ノアデス:Ronald Noades【1937年6月22日生–2013年12月24日没】とバークレイズ銀行への負債を無利息で補填したのがベナム。ブレントフォードの悲願ともいえる新スタジアム建設は土地を購入してから十年近く着工までの歳月を要した。それはサステナビリティなコミュニティ運営モデルが必ずしも順風満帆ではなかった現実を証明している。完成したのは2020年8月30日。
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スカウト体制や育成アカデミーを整備し、地元の高校とも良好な関係を構築。地域の人々から必要とされるフットボールクラブを持続するためにBUが重視するのは子ども達だ。やがてスタジアムにも足を運びグリフィンパブでビールを呷る日が来る。少年時代のブレントフォードの思い出を集め、大切にするファンが顧客·スポンサーになり、我が子をスタジアムへと連れて行く循環。ミッティランを買収したベナムではあるが、それでも他国のクラブの株式に感興をそそられブレントフォードを見捨てることはしないだろう。1979年、十一歳で初観戦して以来彼は永遠にブレントフォードのファンなのだから。
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あの日あの時は■2017年5月7日英チャンピオンシップ最終節ブレントフォードFC対ブラックヴァーン。グリフィンパークには多くのブラックヴァーンサポーターも駆けつけ一万二千人と大盛況。名前の由来となったのはスタジアムの目の前にある醸造所直営のパブ。ここがドレッシングルームとして使われていたのは遥か昔。それでも本場のフットボール狂達が集って試合前からの大騒ぎは今も昔も変わらず。
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人気のマスコットは微妙 デンマ-ク代表は途中出場
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フォトビブスを受け取り、手を触れるとピッチコンディションは上々。専門家を招いて管理される見事な芝は二部(当時)レベルではなかなかお目にかかれない。ビー=蜂のマスコットはかなり微妙な気もするが地域の子供達には意外にも人気がある様子。旗手を務める子ども達の笑顔が並んだ下写真は気に入っている。
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キックオフから前半終了。この日初めて生のチャンピオンシップ
を観た感想は、三部降格がほぼ決定のブラックヴァーンですらレベルは低くない。欧州強豪国の二部リ-グに限定するならば頭ひとつ抜け出している印象。一年間の声援に感謝を込めて残り25分、五番を背負ったセンターバックがピッチに登場した。懐かしのアンドレアス·ビェラン:Andreas Bjelland【1988年7月11日生】も今年七月引退を表明しており、その雄姿を二度とフィ-ルドで見ることはない。
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