マンチェスター·ユナイテッドではエリック·テン·ハーグ:Erik ten Hag【1970年2月2日生】元監督がその高い疼痛閾値を称賛していたのがブルーノ·フェルナンデス:Bruno·Fernandes【1994年9月8日生】。不振に苦しむ名門の中でもこの五年間は、しっかり存在感を示している。監督が代わろうがシステムを変えようが、怪我をものともせず、常に全力を出し尽くす。イタリアでプレーしていた頃は然程気に止めていなかったのだが、母国で復帰したこの頃から見る目が変わった。Verde e Brancos(緑と白)のアタッキング·ミッドフィルダーはこのシ-ズンと更に翌シーズンと二年連続国内MVPを獲得し、ビッグクラブからのオファーを待つばかり。
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育成の名門スポルティングで脚光を浴びたブルーノではあるが生まれ故郷はリスボンではない。ポルトの北側近郊にあるマイア。ポルトの中心部まで十キロ程度の距離にあるのでほぼポルト。
第百五十四話は彼が少年期を過ごしたボアヴィスタFCの本拠地エスタディオ·ド·ベッサ。ポルトのフランシスコ·サ·カルネイロ空港の入国手続きを終えるといきなりスタジアムツアーの宣伝広告が目に飛び込んできた。ピッチとの距離が近い英国式スクエア型のスタンド。その傾斜角は45度近い急勾配。ポルトガル語のBoa Vista を英語にすればGood View。2004年のUEFA欧州選手権開催に向け大規模な改修が行われ良い眺めなのはわかるが、ボアヴィスタFCのネ-ムバリューで、果たしてどのくらいの観光客がこのツアーに参加するのだろうかと思ったのは余計なお世話である。
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注目すべきは、ベッサに隣接したグラウンド。黒のチ-ムシャツでボールを追う少年達は小学校の低学年ぐらいだろうか。時間の許す限り保護者達と一緒に眺めたのがボアヴィスタ·アカデミーの練習。ポスターには、2015-16年と2016-17年シーズンを連覇したCampeões de Série(シリーズチャンピオンの文字が記されていたが小学生か中学生年代か。
トップチームの成績では、同じ都市のライバル、FCポルトに大きく水をあけられてはいるものの、育成の水準は高くこれまで多くの逸材を輩出してきた。その中の一人が十歳でボアヴィスタの門扉を叩いたブルーノ少年。それから八年の間研鑽を重ね技術を磨いてきた。
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日本のメディアでもフェルナンデスの名前が取り上げられたのは2016年のリオ五輪。ポルトガルU23代表の背番号十番は8月4日。アルゼンチンに2-0と快勝、両得点をアシストして勝利に貢献している。当時の所属は〝青田刈りの達人〟ウッディネーゼ。ベスト8でドイツと対戦するも4-0の完敗。ブラジルから帰国して間もなく向かった先はイタリア北西部の港町。サンプドリアが彼に用意した背番号からその期待の大きさが伺える。合流して翌週にはセリエA開幕戦を迎える。五輪出場で合流が遅れた新参者に出場の機会がないのは仕方がない。翌週二節はアタランタ戦。 フェルナンデスは終了間際 ご挨拶程度の6分間だけ出場でガゼッタ紙は評価なしを意味するSV。ところが三節から三連敗二引き分けと不振に喘ぐブルチェルキアーティ。九節のデルビーでチャンス到来。スタメンで好パフォーマンス、六試合ぶりの白星を手繰り寄せ、十一節インテル戦からはレギュラーに定着、結局シーズンを通して攻撃のタクトを振るっている。
猫から黒豹へ 変貌を遂げる未来
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これまで多くの若者がスポルティングを巣立ち、欧州各国のトップリーグへと羽ばたいて行った。南の育成の名門に負けず劣らず、北からも優秀な人材が後を絶たない。ヴェルデには、若い、熟していないという意味がある。経験が乏しいくせに口だけは一人前の若僧を日本語ならば青二才。ポルトガルならば緑二才となるのだろうか。