名物市長の移民共生政策 市民が受け入れた歴史的背景とは
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ディール川沿いを古い歴史ある街並みや遊歩道が整備され、市民や観光の散策路。メヘレンは、アントワープとブリュッセルのほぼ中間に位置しており、ハプスブルク家の支配下で十六世紀初頭にはネーデルラント(現在のオランダとベルギー、ルクセンブルク)の首都として繁栄を極めた。第一次世界大戦におけるベルギーは、永世中立国でありながらドイツ軍の侵攻を受け戦場と化した。同市の住民の九割が難民となる悲惨な時代を経験している。猫の目のように変わる地元クラブの監督とは対照的にこの街の市長といえばバルト·ソーメルス:Bart Somers【1964年5月12日生】。
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市長が政策の参考にしたは、NYCのルドルフ·ジュリアーニ:Rudy Giuliani【1944年5月28日生】の思考。9・11テロに対して当時のジュリアーニ市長はテロリズムに宣戦布告、米国市長としては初めて国際連合での演説により「世界の市長」と称賛を集めた。ジュリアーニ退任とソーメルスの市長就任は同じ2001年。
地下鉄の落書き一掃やゴミのポイ捨て禁止など防犯カメラを設置して徹底的に取り締まり治安を改善したのもジュリア-二流。
ソーメルス市町の辣腕が評価されるのは独自の移民政策。メヘレン市には多数の外国籍住民が暮らしているが、中でもモロッコ系移民は同市最大で一万五千人の外国人コミュニティグループを形成している。当時のメヘレンは地域で孤立しているモロッコ系移民の犯罪で治安は最悪の状態。2012年から住民がマンツーマンで移民と交流するバディ制度を促進したソーメルス。具体的には食事を共にしたり、町を一緒に歩いて案内するなど日常的な交流を半年程続ける。この取り組みを欧州各国のメディアが注目し、’17年2月名誉ある世界市長賞に選ばれた。実際この制度を参考にして実施する日本の企業も増えている。
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VNV地域リーダーの祖父と十年間国民党の国会議員を務めた父の意志を継ぎ、ルーヴェン大学で法学の学位を取得した後政界入りしたソーメルス氏。2003年10月にフランドル政府の閣僚·議員職に就くと五輪のフランドルに誘致計画でも耳目を集めた。第一次世界大戦中、祖父はオランダの難民キャンプでの生活を余儀なくされた。こうした体験はメヘレン市の多くの家族が体験を共有し、難民を温かく迎え入れるバックボーンとなっている。フラマン政府の副首相兼内務/統合/多様性生活担当大臣を務めていた2019年~23年までは市長代理に実務を任せる名前だけの市長だったが内務大臣職の辞任後は市政に専念すると記者会見を開いたからメヘレン市民も大歓迎だろう。その在任期間は、国会議員、閣僚、政党党首を歴任した国政と市政を並行して走り抜けた。
同市は、熱供給の脱炭素化における成功が評価され、EU市長誓約賞も受賞している。