アルマ·カルリンの世界一周の旅。その中には当然日本も含まれており1922年6月に到着。明治大学で語学の講師を務めドイツ大使館にも勤務していた。23年7月1日に日本を去るのだが「誰にも傷つけられず、誰にも不当な扱いを受けなかった唯一の国」と日本への愛情を綴っている。ちなみに彼女の作品はすべてドイツ語で書かれていたのだがナチスが台頭すると反戦思想のカルリンはドイツ語を放棄する。するとナチス·ドイツ政府は彼女の執筆を悉く焼却処分。’41年4月ユーゴスラビア侵攻とシュタイアーマルク州占領の直後に逮捕されたカルリン女史。ダッハウ強制収容所に送られる寸前で免れるとパルチザンゲリラ運動に参加するのだが大戦後財産を没収。釈放された後ツェリエの自宅で軟禁生活を過ごしており’50年1月、乳癌と結核を患いペチョヴニク村で鬼籍に入る。ツェリエ市内の旧伯爵邸は博物館になり一階は彼女の功績を称え常設展示がされている。
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写真はリュブリャナ出身のボリス·カリン:Boris Kalin【1905年6月24日生-1975年5月22日没】作の彫刻。題名は『筏乗りの男性』。サヴィニャ川の洪水防止工事完了を記念して鋳造された作品は同川に架かる歩道橋の袂に設置されており、その先には公園がある。丘陵の上に小さくではあるがこの街のランドマーク、ツェリエ城も写るアングルにした。
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欧州一部では初 日本人指揮官が誕生したクラブは最高峰の舞台へあと一歩
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第166話はツェリェのスタディオン·ズデジェレ。この都市にフットボールクラブが創立されたのはは1919年。SKツェリエは二次大戦後にNKクラディバルと一時改名。ユーゴスラビアから独立した翌年の1992年、国内リーグが開幕しクラブ名=都市名に戻り現在に至る。
Y.S.C.C.横浜を率いた星川敬:Kei Hoshikawa【1976年5月29日生】監督の経歴が異色中の異色。2016年3月にNKツェリェのコーチに就任。監督代行を任され、記念すべき日本人初の欧州一部リーグ指揮官誕生と日本のメディアにも報じられていた。2023-24シーズンはスロベニア王者に輝いてたのが四年ぶり二度目の戴冠。24-25は四位、そして昨季は見事タイトル奪還し手にしたUEFAチャンピオンズリーグ予選の切符。ここまでクリアし
スロヴァン·ブラティスラヴァと本日(1stレグ)のプレーオフを残すのみ。
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ズデジェレは1999年に着工し’03年に一次工事が取り敢えず完了。三千六百席を備えた東部の屋根付きトリビューンはUEFAの基準を満たしオフィスビルとしての機能も集約されている。まずはスロベニアとフランスのユース代表チームによる親善試合が行われ、’04年からはスロベニアA代表チームの国際試合で使用されるほどピッチは常に整備が行き届いている。冬季は芝生を加熱しフィールドの凍結を防ぎ、夏季には特殊センサーとコンピューター制御のスプリンクラ-で適切な水分量を測定してピッチを潤す。西側のスタンドは’04年10月9日に行われた国際親善試合で初めて開放されているが、対戦相手は隣国イタリア代表だったから満員御礼となったのも納得。