駅舎を背に旧市街メインストリートを撮影したこの写真。帽子を被り右手には旅行鞄の女性像。世界一周旅行を実現した才女は十ヶ国語を使いこなす多言語話者。今ならば女性ジャーナリストのアルマ·カルリン:Alma Karlin【1889年10月12日生-1950年1月15日没】。彼女の故郷として知られるのがスロベニアのツェリエ。旅行家の肩書だけでなく神智学者、作家…このあたりは納得できるが、アマチュア探検家って探検家にもプロフェッショナルとアマチュアがあるらしい。1919年から27年にかけて世界中を単身で旅しており訪問した国の数が45〜60ヵ国… 以上と本人も覚えちゃいないのだろう。彼女が産まれた当時のツェリェは、オーストリア=ハンガリー帝国領。中欧の覇権を掌握した大国内にシュタイアーマルク公国があった。帝国が崩壊すると公国南部はユーゴスラビア王国の領土となりドイツ語のシュタイアーマルクはスロベニア語で発音するシュタイエルスカとなる。この地方を代表する都市はマリボルと55kmほど離れたツェリェ。
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女性旅行家のパイオニアは語学力を活かす ヒッチハイカー猿岩石は旅行家に違いない
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バイリンガルで知られるカルリンだが、実は母国語であるスロベニア語は不得意。流暢に話せなかったらしいから驚き。ツェリェではスロベニア人とドイツ人の間で激しい民族主義的に対立していた時代。つまりスロベニアに生まれドイツ人として育てられたことになる。それでも両国の文化に深く根ざしたアイデンティティが形成されているのは間違いない。第一次世界大戦終結から一年が過ぎると、カルリンは僅かな貯金を崩して旅に出る。旅費はすぐに底を突いて道中では語学教師、翻訳家、そして数々の新聞への寄稿などで生計を立てる。それを聞いて思い出したのは『進め!電波少年』の猿岩石。ユーラシア大陸横断ヒッチハイク企画で大ブレイクした二人は、タイ·バンコクの日本食レストランや、ブルガリアの農家でもバイトをしていた。若き日の有吉弘行:Hiroiki Ariyoshi 【1974年5月31日生】は期間限定ではあるが旅行家だったのである。