19〗Štadión Antona Malatinského / トルナヴァ


◆◆◆◆◆

スラヴ人は用いる言語で線引きされて南スラヴ、西スラヴ、東スラヴの三派に分けられる。分裂したのは五世紀から六世紀にかけて。東はギリシャ正教を、西はカトリックを尊崇していた。ちなみに南スラブは旧ユーゴで混在していたから後に分裂するのも“北に近ければ南に遠い”の諺どおり。

三つの異なる民族と言語 異文化が交差する中欧

◇◇◇◇◇

欧州を旅してみて面白いと感じるのは前述のトライアングルエリア。まず旧東欧であってもハンガリ-はスラブ系ではなく誇り高きマジャール人。実際には多国籍ながらゲルマン系言語のドイツ語を用いるため、ゲルマン国家として括られるオ-ストリア。そして西スラブのスロバキアと異なる文化が交差している。2019年ブラティスラバに新スタジアムが完成してからも'21年にはFIFAワールドカップ予選のスロベニア戦。'23年にはUEFA欧州選手権予選のルクセンブルク戦など重要なナショナルチームの試合が開催されている。そして刮眼すべきは23年6月19日はウクライナ代表がホームゲームでマルタ代表に1-0の勝利した公式戦。ロシアの侵攻以降、ポーランド以外の国でホームゲームが行われたのはこの試合が初めて。小国なりにウクライナへを支援する心は伝わる。
◇◇◇◇◇


◆◆◆◆◆

日韓国戦に限らず、欧州でも歴史的に因縁深い隣国同士の対決となると、異様な盛り上がりをみせる。2016年の夏、猛暑下での過酷なシーズンが幕を開けた。繰り返すがトルナヴァの人口はおよそ六万八千人。百七十万人を越えるかつてのオーストリア=ハンガリー帝国の都までは僅か百二十キロにも満たないから川崎サポーターは鹿島スタジアムに行くのと同じぐらい。
◇◇◇◇◇

あの日あの時は■2016年8月4日UEFAヨーロッパリーグ三次予選第二戦 スパルタク·トルナヴァ対アウストリア·ウィーン
初戦の会場はウィーンのエルンスト·ハッペル。フットボールでは度々起こるジャイアントキリングと言ったらスパルタク·ウルトラスは怒るだろうか。後半キックオフ直後にロベルト·タンベ:Robert Tambe【1994年2月22日生】が奪った虎の子の一点を守るため、トルナヴァには後半だけでも七枚のイエローカードを提示される荒っぽくも決死の守りでギリギリ凌ぐ。ファウルの数はアウストリアの十に対し倍以上、二十七回もの笛が吹かれた数字が試合を物語る。五万人収容のスタジアムに当日六千八百人の観客。その半分までいかなくても三千人はトルナヴァのサポーターが観客席を占拠した。試合後の熱狂と歓喜が目に浮かぶ。
◇◇◇◇◇


◆◆◆◆◆

人口六万五千の街で一万七千を動員した隣国対決

◇◇◇◇

この試合で主将を務めたのは地元出身のマルティン·ミルコビッチ: Martin Mikovic【1990年9月12日生】。上写真はアウストリア戦の一年二か月前にジリナで撮影。迎えた翌週のホームゲーム。19,200人収容のマラチンスケーホに17,152人の観客が詰めかけた。上下ストッキングまで純白のアウェーユニのアウストリアはこの日もシュートを積極的に撃ちまくるが堅い守りに阻まれる。スコアレスの状況で先に動くのは当然アウストリア。ケビン·フリゼンビクラー:Kevin Friesenbichler【1994年5月6日生】とイスマエル·タジューリ=シュラディ:Ismael Tajouri-Shradi【1994年3月28日生】の二人を投入。前線の人数を増やし前がかりに。この采配が奏功し残り二分でフリゼンビクラーが頭で決めた。延長戦では決着がつかずPK戦へと突入する。双方失敗者の出ないまま五人目のキッカーとして登場したのは、殊勲の同点弾を決めたフリゼンビクラー。GKが左に飛んだのを確認してど真ん中に丁寧に蹴る強心臓。二十二歳とは思えない憎らしいほどの冷静さ。
◇◇◇◇◇