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サッカーとの思い出② 〜磯貝洋光、初めて観たアメリカW杯、サッカーへの目覚め

 Jリーグもオフシーズンになりましたので、少し僕のサッカーとの出会いや関わるキッカケになった事を交えながらサッカーを語らせてもらいたいと思います。

 第1弾は、小学生時代は帰宅後すぐにランドセルを家の玄関に置いて野球をしていた僕が、サッカーやJリーグとどのようにして出会ったか?また、当時のJリーグの衝撃と、関西唯一のクラブとしてのガンバ大阪という部分にフォーカスした内容になっています。

 そして、今回は1993年に開幕したJリーグを観て、ヴェルディ川崎と三浦知良に魅了されながら、1993年6月5日の初めてのJリーグ生観戦以降、ガンバ大阪ファンになった小学4年生だった僕が、本格的にサッカーをプレーし始めたかという部分を書いて行きたいと思います。

“浪速の黒豹”磯貝洋光に憧れるも、
    中学校までプレー環境はなかった

 1993年6月5日のJリーグファーストステージ第7節、ガンバ大阪VS名古屋グランパスエイトで、初めてのJリーグ生観戦をし、毎日野球をしていた僕はサッカーもし始めるようになりました。野球もサッカーもチームに所属していたわけでなく、ただ友達10人にも満たない数でしたが。

 都会生まれの僕が住んでいた地域には十分なグラウンドもなく、また今のように地域サッカーのクラブチームも少なく、通っていた小学校にもサッカー部はありませんでした。また、僕の両親も「サッカーをしたい」と言ってもさせてもらえないままでした。

 ただ、当時は地上波のテレビ局でもJリーグ中継が頻繁にされており、ガンバファンになっていた僕はガンバの試合をよく観ていて、Jリーグ創設当時は完全にお荷物となっていた“弱小ガンバ大阪”で輝く天才MF磯貝洋光さんのスルーパスをイメージしてボールを蹴っていました。録画したビデオを擦り切れんばかりに観て、味方・敵の状況をイメージして、トラップからパスまでを。磯貝さんは両足で思い通りに蹴りたい場所へ蹴れる技術があったため、僕の個人練習の際には常に両足を使っていた事はその後にも繋がりました。

 幸いにも、進学予定の地元の公立中学校では小学校の先輩がサッカー部に入っていたため、中学校になったら本格的にサッカーを出来る事はわかっていました。そのため、小学6年の時には早朝ランニングを開始して準備していました。

 そして、中学入学から晴れて本格的にサッカーをプレーするようになったのです。

初めて観たW杯は1994年アメリカ大会
  魅了された”イタリアの至宝”やパルマの虜に

 Jリーグ開幕の翌年に当たる1994年にアメリカでサッカーワールドカップが開かれました。前年には日本代表がアジア最終予選の最終戦・イラク戦の追加タイムでの失点により出場権を逃した”ドーハの悲劇”があった本大会に当たる大会です。

 当時は現在のように32ヶ国参加でなく、24ヶ国のみで行われていたW杯。1990年のイタリア大会やその前の1986年メキシコ大会はディエゴ・マラドーナが好きになった僕はビデオで観るなどをしましたが、リアルタイムで観たW杯というのは、この1994年のアメリカ大会が初めてです。

 Jリーグも開幕して1年半が経過してからの大会であったため、ブラジルやイタリア、ドイツ、オランダが強いのは小学5年生の僕でも分かっていました。しかし、この大会ではとにかくダークホースの存在がクローズアップされるほど番狂わせが多く、どこが勝つか分からない感覚が小学生の僕にとっては大変興味深く引き込まれる部分が多かったのです。

 まず、この大会の出場国に関して、イングランドとフランスは欧州予選で敗退して出場自体がなかった、という今では考えられない前提がありました。フランスに限っては2大会連続で欧州予選敗退となっていました。そして、この大会での準決勝に勝ちあがったのは、ブラジルとイタリアという“列強”はさておき、あと2ヶ国が毎大会出場するとは言えない“伏兵”スウェーデンとブルガリアでした。

 しかし、スウェーデンにはトーマス・ブローリンという動きまくりながらロングシュートを決めまくるMFがいて、最前線にはケネット・アンデションという193cmの長身FWがいて、彼の高さを使いながら有効に得点を奪い、ブローリンの1発もあるという攻撃。そして、トーマス・ラヴェリという頭が確実にハゲているGKが驚異的なセービングで止めまくるスウェーデンが好きでした。