FIFAの特別措置は何処吹く風のアルゼンティ-ナ
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ロシアのクラブに所属する外国籍選手·監督を対象にFIFAが特別措置を実施したのも’22年3月。露プレミアに外国人の名前が見当たらなくなる····と思われたが、何処吹く風なのがオレンブルク。監督も異邦人なら計十四人の多国籍プレーヤーが入れ替わり立ち替わりスタメンに名を連ねた。ベラルーシ代表の背番号二番 キリル·ピチニン:Kirill Pechen【1997年3月18日生】を含む三人は傀儡国なので納得。トルコ、コスタリカ、エクアドル、多彩な外国籍の顔ぶれが並ぶオレンブルクの中でもで最大派閥はアルゼンチンの五人。中立的な立場をとる南米では加害国としての冷ややかな視線を浴びることがないらしく、侵攻後不法も含め大量のロシア人入国が報じらているから、ロシアでプレーするフットボーラーへの批判も非難もないのだろう。冒頭で述べたとおりオレンブルクはカザフスタンとの国境は車で行けても、首都モスクワまでとなると千五百キロだから選択肢は空路しかなかった。モスクワとウクライナのキ-ウとの距離が八百八十キロだと市民からすれば自国と思えぬ遠い所の出来事で現実味にかける。オレンブルクのある沿ヴォルガ連邦管区をおさめるのは大統領全権代表。
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漸くFIFAワ-ルドカップ北中米大会参加四十八チーム中の四十二チームまで決まるのが今月。あの感動のカタール大会から早くも三年の歳月が過ぎた。EU及びNATO加盟国からの出場者で唯一、ロシアのクラブ=ゼニト·サンクトペテルブルクに所属していたのがデヤン·ロヴレン:Dejan Lovren【1989年7月5日生】だった。現在ギリシャのPAOKサロニキでプレーしているクロアチア人も三十六歳。
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さらばシベリア鉄道 去ったクロアチア人と残ったクロアチア人
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当時七名のクロアチア人がロシアのクラブに在籍する状況。移籍先のクラブは未定でもFIFAの特別措置でルビン·カザンを退団しロシアから離れたのは真っ先に元代表センタ-バックのフィリップ·ウレモビッチ:Filip Uremović【1997年2月11日生】だった。川崎フロンターレへの移籍には、少々驚いたがデビュー戦となったアビスパ福岡戦での退場処分には普通に驚いた。その後は本来の実力を発揮したかなと思った矢先のカップ戦準決勝柏レイソル戦。後半11分の退場で戦犯確定は仕方のないところ。ウレモビッチのロシアを去る決断を否定する気は微塵もないが、筆者はこの件に関してはロブレン派。ウクライナ侵攻の責任が自身やクラブにあるわけでもないと、何ら恥じることなくロシアでプレーを続けたロヴレンはボスニアのゼニツァ生まれ。イスラム系のボシュニャク人が多数を占めた地域。集団殺害から三十年の節目となる本年、スレブレニツァで追悼行事が行われ日本からも代表者が出席したものの、セルビア人からは依然虐殺など無かったと否定する声が絶えない。
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オレンブルクの新旧ボスニア·ヘルツェゴビナ代表は今何処に
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北中米大会の切符を手にする為、まずはル-マニアを下してオ-ストリア代表との最終決戦へ臨みたいボスニアヘル·ツェゴビナ代表。イヴァン·バシッチ:Ivan Basic【2002年4月30日生】は、先月マルタとのテストマッチでスタメンフル出場を果たした。短期間での連戦だけにスタメンの可能性はあるのか。彼は
五月末までオレルブルクでプレ-した後、七月からFCアスタナに合流したセントラルミッドフィルダ-。カザフスタンのプレミアリーグが春秋制とは知らなかった。ボスニア·ヘルツェゴビナでもセルビアの国境に近い街。同国で三番目に人口の多いトゥズラ出身のレナト·ゴイコヴィッチ:Renato Gojković【1995年9月10日】はオレンブルクから昨季イスラエルへ。そして年明けからは母国のFKサラエボでプレ-している。
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