先進国から南米まで 柔軟に良いものを取り入れるスポルティング流
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同クラブで世界トップクラスの攻撃的才能を開花させるウインガ-が後を絶たないのは偶然ではない。スピードを重視した筋力アップに加えインテリジェンスの向上に力を注ぐことでスキルフルな選手が誕生する。肉体と精神の両面を磨くという考え方は日本の武道にも似ている。
ポルトガルは他のクラブも含め4-3-3のテンプレートが根底に流れており、オランダやバルセロナとも共通している。指導者達はバルセロナのラ·マシアやアヤックスのデ·トーコムストなど欧州の最先端だけでなく、南米大国の育成拠点など異なる文化圏へと頻繁に足を運び視察を重ねてきた。そこで哲学や知識を吸収するなど柔軟な姿勢と国際交流効果のアップデートを繰り返しながら、スポルディングは若年層を対象とする秀逸な指導を維持してきた。
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2005-06シーズンシーズンのUEFAチャンピオンズリーグは、予選三回戦でウディネーゼに敗れる失態。UEFAカップ一回戦に降格するとスウェーデンのハルムスタッドにもまさかの敗退で欧州の舞台から早々に消えリ-グ戦でも連敗。順位が七位までに沈んだところでペセイロ監督の首がとぶ。するとユースを指導して一年の青年監督を抜擢。トッププチームでの監督デビューとなる八節ジル·ヴィセンテ戦ではナニを初のスタメン起用。続くボアヴィスタFC戦では期待に応え、豪快に長距離弾で初ゴ-ルを決めたナニ。その後八試合はスタメンに固定。ベンチスタートになった十六節リオ·アヴェ戦でアシストを記録。二十九試合で4G4Aの数字を残している。2005年10月からパウロ·ベントのアシスタントには前述のカルロス·ペレイラ(当時五十六歳)が就任。’09年11月まで若き名将を支えている。’06年9月のFCパソス·デ·フェレイラ戦では、ヤニック·ジャロ:Yannick Djaló【1986年5月5日生】もトップリ-グ初出場を果たした。
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少年時代の憧れと対決 十九歳で夢を叶えたナニの次なる目標は
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あの日あの時は◼️2006年9月12日UEFAチャンピオンズリーググループB第一節スポルティングCP対インテルミラノ。
指揮官ベントと参謀ペレイラのチ-ムは4-4-2の陣形。中盤はダイヤモンド型で深い位置にミゲル·ヴェローゾ:Miguel Veloso【1986年5月11日生】。左にモウティ-二ョ、右がナニ、そしてツ-トップにジャロと、この年成人を迎えたカルテットが顔を揃えた。一方ロベルト·マンチー二:Roberto Mancini【1964年11月27日】率いるネラッズーロの注目はトップ下のルイス·フィーゴ。古巣凱旋に五万の大観衆も頷ける。そしてこの初戦1-0で勝利を掴んだのは若獅子たち。父はカ-ボベルデへ、母はオランダへ。両親に見捨てられたナニは、リスボンでも犯罪多発地区の崩れかけたワンルームマンションで叔母に育てられた。その頃からの憧れフィーゴに勝利したのだから胸中は感慨多端に違いない。
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さて、アルヴァラーデ訪問は2010年4月2日第25節対リオ·アヴェ戦。金曜のナイトゲームとあって観衆は1万6400と寂しい入り。前日ルスでのリヴァプールサポーターを含む五万人の熱狂が脳裏に焼きついた直後だけに寂寥感は否めない。
第九十九話に記したとおり、SLベンフィカは南米から集めた傭兵部隊。対してスポルティングはベントがユース監督から六年指導してきた生え抜き主体のチ-ム。ライバル関係にある両クラブのコントラストが際立ち双方が魅了的だった十六年前。下写真のキッカーはレフティのヴェローゾ。十四歳まではベンフィカユース所属だった。この日ハットトリックを決めたジャロとは誕生日が一週間も違わない。同じ代理人と契約し、互いの子供の代父にもなっている親友。※キリスト教文化圏で子供の洗礼式に立ち会い、霊的な絆で結ばれた第二の父親が生涯の後見人としての責任を負う。ちなみに筆者とマンチー二は誕生日が十日しか違わないが、「だから何なの」という関係性。
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