55〗Ali Sami Yen Sports Complex / イスタンブ-ル


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この写真は翌日朝九時過ぎののイスタンブ-ル国際空港。午前便でパリへと移動。登場前に朝からefesビ-ルで喉を潤す。一方
ロンドンから空路二千五百キロを移動してきたアーセナルがどの程度本気を出すのかと訝しく思っていた昨晩の試合・・・・心弛ぶことなくガチそのもの。
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トルコのクラブはイメージどおり 四失点も一矢を報いたスナイデル

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開始僅か三分左サイドのルーカス·ポドルスキ:Lukas Podolski【1985年6月4日生】は、狭い角度などお構いなし、豪快に左足でいきなり突き刺した。十分の追加点以降もガンナーズの猛攻は続き、再びポドルスキが左足を振りぬくとバーを直撃。更にポドルスキの左足から強烈なシュートが火を噴くが、キーパーが俊敏に反応しはじき出す。試合終了間際にもワンツーからエリア内に侵入正面から決めて最終スコアは1-4。ガラタサライの1得点は、インテルで長友と同じ釜の飯か同じ釜で焼いたピザを食ったヴェスレイ·スナイデル:Wesley Sneijder【1984年6月9日生】が意地をみせてのフリーキック。オスマン帝国の血を引くフットボールは、兎に角攻撃偏重で守備が蔑ろ。五大リーグの上位レベル相手にこのスタイルではというのが試合後の感想だった。
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日中市内を散々歩き回って靴底を減らしていただけに、これ以上人ゴミに揉まれるのは勘弁と、後半試合途中でアレーナを脱出さたら、すんなりバスの乗車にも成功。宿近くのメイハーネ(日本の居酒屋のようなお店)に腰を下ろし、efesビ-ルを注文する。アディショナルタイム、ポドルスキのゴールが映し出されたテレビ画面と欣喜雀躍の店主の姿を目の当たりにして、「このオヤジはフェネルバフチェかべシクタシュのサポーターだ」と確信する。

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それから四年後の冬、イスタンブ-ルではちょっとした日本人ブ-ム。一年前の長友に続きレンタルとはいえ、べシクタシュに香川真司:Shinji Kagawa【1989年3月17日生】が加入。デビュ-戦でいきなり衝撃の二得点。四試合目ホームでのフェネルバフチェ戦では移籍後初スタメンでアシストも記録した香川。鼠径部負傷により3月2日のカイセリスポル戦を負傷欠場したが10日のコンヤスポル戦では劇的な決勝復活弾。写真右紙面は2日の現地紙面。左はその一週間前、ガラタサライの劇的勝利を報じる紙面《Nagatomo Sağ bek=長友右サイドバック》と大きく活字が並んだからトルコでは初披露だったのか。前節を発熱で欠場してはいたがこの日はフル出場しており勝利に貢献。但し左膝を痛めてしまいこの後暫く療養に専念している。

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あの日あの時は■2019年2月24日シュペルリグ第23節ガラタサライSK対アクヒサルスポル·クリュビュ。この試合のヒ-ロ-はアディショナルタイム弾を放ったコンスタンティノス·ミトログル:Konstantinos Mitroglou【1988年3月12日生】。トルコで名刺がわりの初ゴールだった。それにしても、ミトログル、長友、香川が偶然にもイスタンブ-ルに集えば話題はこの試合しかない。2014年6月19日のブラジル·ドゥナス競技場、FIFAワールドカップのグループステージ第二戦での日本代表対ギリシャ代表。互いに初戦を落として崖っぷちの後がない状況。しかし前半三十四分、ギリシャはエ-ス格のミトログルがまさかの負傷。ここで歯車が狂い三分後退場者を出してしまい数的不利な状況で後半へ。日本は大迫勇也:Yuya Osako 【1990年5月18日生】に代えて香川がピッチに入るも牙城を崩せず無念のドロ-。
後半アディショナルタイムのPKでコートジボワールを下したギリシャ代表は初の決勝決勝トーナメントへ、新たな歴史の扉を開いた。コスタリカ代表との八強を賭けた試合も壮絶。今度は数的有利を得たギリシャは後半の早い時間からミトログルをピッチに。
猛攻を凌いだコスタリカはPK戦へと持ち込みオランダとの準決勝に駒を進める。ミトログルは最初のキッカ-として登場、成功してはいたのだが。そのコスタリカをPK戦で退けたオランダが四強に。ガラタサライに前年移籍したスナイデルは三人目のキッカ-
を務めるが背番号十が外すわねにはいかない。
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