カミングホ-ムと雨のウェンブリ-
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本日関東地方も梅雨入り。洗濯ものの半分をべランダに干し残りはコインランドリ-の乾燥機へ。次のUEFA欧州選手権:EURO 2028はわれる。イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド共和国での共同開催に決定。この前やったばかりと思っていたが96年以来なので三十年以上経過していた。つまり1966年のワールドカップ開催からぴったり三十年ぶりで開催した96年のユ-ロよりも間隔は空いている。なるほど、二歳の時に開催されたビッグイベントは自分の記憶にないので大昔なのに。三十二歳の時はすっかり、オッさんで記憶も鮮明。そこから年齢を重ねてはいるものの、あまり自覚がない。六十を過ぎているのだからもうジイさんのはずが、このオヤジとオヤジの境界線がまったくわからないまま日々を過ごしている。96年大会のキャッチフレ-ズはfoot ball coming home!ライトニング·シーズなるバンドの楽曲タイトルでもあるが、この作品の良さが理解できかねる。発表されている開催都市はあくまで予定であって確定ではない。それでも前回取り上げたウェールズのミレニアムスタジアムは収容人数は間違いないところ。収容人員七万人を超える巨大な器はフットボ-ル発祥国でも二つしかないうちのひとつ。もうひとつは言うまでもなく九万人を飲み込む聖地ウェンブリ-。
かつては霧の都ロンドンと呼ばれた英国の首都。産業革命による大気汚染で霞んでいたのが真実。ロンドンで雨にも雪にもあたったことなど、これまでなかったが昨秋UEFAネ-ションズリ-グ·アイルランド戦は雨。この日はサンデ-だったが大滝詠一:Eiichi Ohtaki【1948年7月28日生-2013年12月30日没】の名曲『雨のウェンズデイ』ならぬ雨のウェンブリ-。昼に撮影したヴァレ-(第 話)の好天が嘘のよう。
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日清戦争に関東大震災 その時ロンドンは
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列車がウェンブリーパーク駅に到着した時点ではまだ曇り空の隙間から微かに陽が射していた。既にオリンピック·ウェイは御覧のとおりの人集り。この駅が開通したのは1894年5月。その二か月後にロンドンで日本は幕末の不平等条約を改訂し、新条約を締結する。その勢いで日清戦争へと突入。戦勝なれど不幸への序曲である事は後の歴史が証明している。
前年完成したエンパイア·スタジアム(後の旧ウェンブリー)で初めてFAカップ決勝戦が開催されたのは1923年。この年に日本では関東大震災が発生している。国際五輪委員会がウェンブリーを視察し1940年の東京五輪に続き、44年の五輪開催が決定していた。
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第二次大戦の勃発で東京もロンドンも五輪どころではない。47年あらためてロンドンは翌年の開催を申し出る。長さ500ヤ45フィートの新しい道路建設に急いで着工しなければならない。そこで終戦から既に二年経っていたにも関わらず、作業員百二十人の1/3以上をドイツ兵捕虜で埋める荒業に。これに対して、奴隷への強制労働は人道に悖ると批判的な声も聞かれた。すると労働力不足の原因は二次大戦であり、ドイツが無条件降伏したのだからと英政府は自らの正当性を主張し強引にオリンピック·ウェイ開通へと漕ぎ着けたのが1948年7月6日。
天気が崩れたせいで肌寒く夏から春に戻ったから、カバー写真女性の服装もそれらしいものに。背景はアムステルダムのミュ-ジアム広場。右側グレイの壁はゴッホ美術館。奥の赤煉瓦造りは市立美術館。そして手にしているのはアヤックス戦のマッチデ-プログラム。このシーズンの三月に開催されたベスト16(ドルトムント戦)でお世話になったウェンブリ-ともお別れ。新スタジアムでのCL二戦目となったアヤックス戦は個人的には思い入れがある試合で忘れ難い。第17話は聖地ウェンブリ-。イングランド代表の試合となるとグラスゴ-以来八年ぶり。但しウェンブリ-はその後に訪れている。新スタジアム建設工事の間2017-18シーズン、更に遅延のため、’18年の秋までチャンピオンズリーグ=CLで使用していたことでロンドン市民、スパ-ズのファン、そして筆者にとっても身近なものに。現在はスリーライオンズの国際試合とカップ戦決勝など特別な試合でしか使用されず再び高い敷居に戻っている。
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さてアイルランド戦のキックオフが近づきいきなり強まる雨脚。客席の上に屋根はある。しかし敷居以上に高過ぎるのはこの屋根だった。観客席前方の方達はずぶ濡れ。ピッチサイドでカメラを構えるのも嫌になり避難して普通に観戦を楽しむことにする。この日誕生日で還暦を迎えたのだから祝い酒もバチは当たらんだろうとビ-ルを買うことに。
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