チリ・クーデターとノルマルム広場で事件が起きた73年
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今から半世紀前、1973年に何が起こったと問えば「オイルショック」の答えが圧倒するのか。
南米チリではクーデターが勃発。反ピノチェト国民およそ1万5千人が大西洋を渡り逃亡した。欧州ではストックホルムでのノルマルム広場強盗事件が衝撃的な出来事。
オイルショックで高度経済成長に急ブレーキがかかり、70年代後半になると欧米と歩調をあわせ、日本も社会保障費の削減に舵をきる一方で「高福祉・高負担」政策を貫く北欧スウェーデンは、かなり異端の国だった。
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北のヴェネチアとも称される水の都ストックホルム。気候や建築様式が南欧とは異なるから独特の風情があるのは当然。しかし初めて訪れた時の印象は今も忘れない。日本では考えられないポイ捨てされた数多くのタバコの吸殻と空気のせいか、どこか「ニューヨークっぽい」。同市で移民の若者による暴動が相次ぎ人道主義のツケが請求され始めたのは10年前。チリ系ヨーロッパ人の数では、母国語を共有するスペインを2万人以上も上回る。クーデター時の受け入れに限らずイラン革命などの政変とレバノン内戦など国家・地域間紛争の難民を積極的に受け入れてきたのがスウェーデン王国。
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第31話はストックホルムのテレ2アレーナ。この国でフットボールリーグが産声をあげたのは1924年。現在の純粋なリーグシステムが確立されるのは50年代になってから。
1955年に仏レキップ紙が旗振り役となり Coupe des Clubs Champions Européensが創設される。実はこの第1回大会、出場資格が与えられたのは、各国リーグの代表者。つまり国内リーグ覇者でなくてもよかった。
幸運な事に1891年の創設以来無冠の首都のクラブが、1954-55シーズン初めてタイトルを獲得。これには同国協会も自信を持って、自国代表として送り出したはず。1回戦ではワルシャワを破りベスト8へ。ドイツのエッセンを下し勝ち上がった英国代表スコットランド・エディンバラのハイバーニアンの前に敗戦。ちなみにイングランドは参加しておらず優勝はレアル・マドリー。
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春秋制のアルスヴェンスカンを初観戦
春秋制のアルスヴェンスカンはセミプロリーグ。観戦したのは2014年5月7日第8節カルマル戦。結果はスコアレスドロー。翌日の紙面で大きく写真で掲載された背番号10エルトン・フェイズラフ:Erton Fejzullahu【1988年6月9日生】は、ミトロヴィツァ出身のアルバニア系。2009年当時、エールディビジNECナイメヘンの11番がフェイズラフたったのは記憶にあった。
前年(13年)にはスウェーデンA代表デビュー。しかしコソボサッカー連盟のFIFA加盟が2016年に承認されたことで、コソボ代表に鞍替え。稀に見る複数国のA代表経験者に。
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この日は前線で孤立する場面が目立ち、見せ場はなし。後は見覚え、聞き覚えのないユールゴーデンの面々。