ダンボール箱から引っ張り出した2009年11月22日エールディビジ第14節のアヤックス対ヘーレンフェーン戦マッチデープログラム。ミハル·パパドプロス:Michal Papadopulos【1985年4月14日生】はワールド杯南アフリカ大会欧州予選を戦うチェコ代表のスタメンで名前を見掛けた。母国のオストラヴァからアーセナルに貸し出されたのが18歳の時。ギリシャ系チェコ人というだけで唆られる。
2005年レバークーゼンに完全移籍。ヘーレンフェーンのは一年半在籍後ロシアへ。ロストフからルビンに移るとポーランドに定着。母国のMFKカルヴィナーで昨年スパイクを脱ぐ。37歳までプレーした鉄人はプロ545試合に出場、通算120ゴールを記録。最盛期は’12年から’17年までルビンで145試合に出場し34G15Aを決めている。
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2014年5月17日スタディオン·ザグウェンビェ·ルビンでのKSクラコヴィア戦。この試合ルビンのスタメン1トップはパパドプロス。1点を追う展開で残り12分、パパドプロスに代えて17歳の
少年がピッチに送り出された。クシシュトフ·ピョンテク:Krzysztof Piątek【1995年7月1日生】のエクストラクラサ·デビュー。ルビンから100キロ南に下ったジェルジョニュフ出身。
クラコヴィアを経て2017年にジェノアで頭角を現したピョンテク。ミラノ、フィレンツェと渡り歩き、現在はイスタンブール·バシャクシェヒルFKでオレンジ色のウェアを着ており違和感なし。
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ポーランド代表チームを撮影した上写真、ピョンテクと並んでいるのはアダム·ブクサ:Adam Buksa【1996年7月12日生】。RCランスからアンタルヤスポルに貸し出された今季、既に8得点と好調をキープ。’16年8月28日クラコヴィアに売却したピョンテクに変わる若きストライカーを物色していたルビン。レヒアから加入、契約は三日後の31日。一歳年下のブクサ獲得に費やした資金は、ピョンテク放出で得た金額の1/10にも満たない。
昨年10月29日のスュペル·リグ10節で対戦した両者は、同じ背番号9をつけ互いの健闘を讃え合う。
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大島拓登:Takuto Oshima【1998年6月1日生】は2020年にスロバキア四部からスタート。そこから三段飛ばして一気にトップリーグのMFKゼムプリーン·ミハロフツェへと駆け上がり、昨季隣国のクラコヴィアで定位置を確保。
2022年10月29日第15節。クラコヴィアのスタメンに大島、ザグウェンビェの檜尾昂樹:Koki Hinokio【2001年2月26日生】も後半25分にピッチインして日本人対決。
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0-2で敗れたホームチームの指揮官は「問題は選手のメンタリティにある」と嘆きグルダンSDと二人が退任。新体制以降出場機会が失われてた檜尾はレンタル期間を終え、年明け二月からFKSスタル・ミエレツへ復帰。途中出場も多いがグールニク・ザブジェ線を除けば全て出場。先月10日の18節はピッチ上で大島とも顔をあわせている。
そのグールニク・ザブジェに大宮アルディージャに貸し出された奥抜侃志:Kanji Okunuki【1999年8月11日生】も今夏ニュルンベルク移籍でもサムライブルーのウェアに袖をとおす。