古代トラキアからギリシャにやってきた酒の神
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目的地はブルガリアの首都ソフィア。都内から最短のルートとなると先ずはオスマン帝国繁栄を象徴する悠久の都へ。これまでのターキッシュエアラインズに加え、年明けからは全日空もイスタンブールへの羽田発着直行便を就航を始めた。そこからのフライト所要時間は一時間と十五分。しかしプロブディフやハスコヴォにも立ち寄りたいのでのんびり陸路を選択。昨年東ロドピ山脈にある古代トラキアの都市ペルペリコン跡地から神聖なる儀式のための祭壇やワイン醸造をしていたと思われる複合施設の遺跡が発掘された。ディオニュソス神殿がこの建物内にあったことを証明するのだとか。神々を崇拝する中でもトラキア人にとって豊穣とブドウ酒と酩酊の神ディオニュソスは特別な存在。
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トラキアは現在のトルコ、ブルガリア、ギリシャ三国の国境が交わったバルカン半島東部に独特の文化を築いていた。地図を見るかぎりトルコは西、ギリシャは東の国土の一部分でしかないが、ブルガリアに至っては国土の1/3以上がトラキア。地元の方は「自分達はトラキアの末裔」と胸を張っていたから、スラブやテュルクの血が混ざっているとしても国民の半数以上にトラキア民族の血が流れている可能性は高い。
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ブルガリアにも猛暑来襲 乗るなら飲むな
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ブルガリアの気候はバルカン山脈を境に南北で異なる。ワインづくりに適した南は兎も角、北側は積雪量も多い。そうなるとウインターブレーク期間を長く取りたいからフットボールの国内リ-グ開幕も早い。ところが2007年6月にソフィアで三十五℃を上回る気温が記録された。観測史上最高でこれは熱波による影響らしい。それから十年を経て’17年7月1日には猛暑によりソフィア市内で五人が死亡する凶事。この時は同国一部地域の気温がなんと四十四℃まで上昇。翌’18年には異常気象による冷夏もあったが、本日の最高気温は二十三℃だから東京都とほぼ変わらず日中は半袖の装いを見掛けるほど。一仕事終えた後のビールも美味い。ベルギーやオーストリアでの取材時、プレス控え室でスポンサー企業のビールが振舞われるのは、けして珍しくない。ただボトルやカップに手を伸ばさない人も多く、仕事中だから飲まない真面目な人、アルコ-ルがあわない人もいるのかと気にも留めていなかったが今春至極当たり前のことに気づく。キプロス国内を取材するため国際ライセンスを取得。豪州訪問から約三十年ぶりに海外でハンドルを握ってみたら海外での運転は結構楽しい。なるほど、ビールを口にしないスタッフは車を運転してスタジアムに来ているのだ。でなければ飲まないはずがない。
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欧州の飲酒運転に対する規制は、日本に比べると緩いイメージがある。その根源ともいえる別格の英国は棚の上に置くとして、日本の道路交通法では血中百ミリに対して三十ミリグラムの数値が酒気帯びと判定されるボ-ダ-ライン。この3%に対して欧州ならばほぼ5%までは許容される。但し旧東欧のチェコ、スロバキア、ハンガリー、ルーマニアなどは厳格で1%たりとも許さない。西欧諸国から「真面目か?!」とツッコミが入る中、さてブルガリアはというと····
この国で飲酒と判断される血中アルコール濃度数は5%からなのでそこは西欧と変わらない。但し一年以上の懲役·罰金が課せられる。実はコレ、非常に珍しい。筆者が知る限り欧州で軽度の飲酒に対するペナルティは、罰金及び減点=免停処分。日本同様『懲役』の二文字、キリル文字ではЛишаване от свободаの十七文字が法文に記されるのはブルガリアぐらいではなかろうか。
ちなみにこのキリル文字。ロシアでも同じく用いられてはいるが発祥の地はブルガリア。この国の歴史を紐解く作業もまた世界史マニアには堪らなく面白い。滞在時最も飲んでいたビールの銘柄は販売量国内トップのАриана=アリアナと読む。1884年にチェコ人がソフィア市内に醸造所を設けた地ビールは’95年にマイナーチェンジ、’97年ハイネケン傘下の企業として今や不動のシェアを確保している。
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ブルガスコは1971年から黒海沿岸のブルガス市で醸造されているがベルギーのモルソン·クアーズ傘下。この他にはカールズバーグ系のブランドもあり、ハイネケン、クアーズと三大メーカーが各地方の地ビールを買収してしまっているのがブルガリアの麦酒市場の現状。アルファベット表記のアスティカは南西部ハスコヴォの地ビール。 ’80年に誕生した醸造所を’95年に国内大手のカメニツァ[※1881年プロブディフで創業]が吸収。現在はこちらもモルソン·クアーズ傘下のブランドに。
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