75〗Stadion Berg & Bos / アペルドールン

太陽光パネルの近代スタジアムと自然に囲まれた彫刻庭園美術館

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現アメリカ大統領の月内訪日が話題に。星条旗はためく国は効率性を重視し新しいもの大好きのお国柄。’50年代スクラップ&ビルド型の再開発以降、ぶっ壊して一から立て直すのは御手の物。それに比べると真逆なのが欧州の魅力。三十年前の自分にはオランダで行ってみたいと思う場所が二つあった。ひとつは93年11月に建設工事が始まったアムステルダム·アレナ。現在のヨハン·クライフ·アレナに改名されている。インターネット黎明期の’95年にトヨタカップに欧州王者アヤックスが来日。忘れてしまったがマガジンかダイジェストの何れか週刊専門誌がカラ-で特集。その中に完成間近のアレナが図解入りで紹介されていた。

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そして、もうひとつはフェールヴェ国立公園内のクレラー·ミュラー美術館:Kröller Müller Museum。日本ではゴッホのコレクションで知られるが、魅かれたのは二次大戦後に開園した屋外彫刻庭園。’69年にはインスパイアされた箱根の森彫刻美術館が日本でもオープンしている。まずは列車でアペルドールンへと移動。そこからの公共交通はバスしかないのだが、折角なのでAGOVVアペルドールンの本拠地スポルトパルク·ベルフ&ボスにも立ち寄る計画でアムステルダムを早朝に出発。財政難で2013年にプロライセンスを失ったものの現在もアマチュアクラブとして存続はしているAGOVV。

“夏の離宮”の街で生まれたオランイェと名将

博物館として一般公開されているヘット·ロー宮殿が名所のアペルドールン市。スタディオンまでは駅から3.7キロ。路線バスを利用すればWaltersingel停留所で降りてロータリーを左方向に歩くと右手に入口が見える。その名前が示すとおりアペルドールン市が管理するベルフ·エン·ボス野生公園の東端に位置する。
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柵で仕切られた向こう側には鹿やイノシシの姿はあるが、蹴とばす中国人はいない。大恐慌時に雇用創出事業として公園が建設されたのは1934年。2010年FIFAワールドカップにも出場したデミー·デ·ゼーウ:Demy de Zeeuw【1983年5月26日生】は、人口十六万五千人のこの街で生まれた。’95年からAGOVVの育成組織で技術を磨き’01年ゴー·アヘッド·イーグルスへと移籍、’05年にAZアルクマールでトップリーグデビューを果たす。ステフェン·ベルフハイス:Steven Berghuis【1991年12月19日生】やピーター·ボス:Peter Bosz【1963年11月21日生】もこの街の出身。
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あの日あの時は■2008年8月15日エールステ·ディヴィジ第二節AGOVVアペルドールン対FCドルトレヒト。試合は九十分間スコアレスのままラストチャンスの直接フリーキック。ネットを揺らしたのは当時21歳のドリス·メルテンス:Dries Mertens【1987年5月6日生】。アウェーでの開幕戦に続く二試合連続ゴール。本年六月にスパイクを脱いだ元ベルギー代表はこの夏、故郷ルーヴェンの音楽フェスティバルで元気な姿を披露した。
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ナポリでも愛された小さな巨人 引退後は世界を旅する

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名誉市民に選ばれたナポリとルーヴェンの自宅で家族との時間を大切にして、サッカーとは距離を置いて暮らしている。テレビのインタビューでは「これからの二~三年は、人生を思いっきり楽しみたい。世界を旅したい。オーストラリアやニュージーランドにも行きたいね。」と語っていた。2018年ワールドカップでの日本戦後、京都観光に東京ではリアルマリオカートを体験。自身のSNSで公開していた根っからの旅行好き。2006年に母国からレンタルでAGOVVアペルドールンへ。翌’07年に完全移籍を果たすと2008-09シーズン終了後にはエールステ·ディヴィジの最優秀若手選手賞に選ばれる。トップリーグのFCユトレヒトが触手を伸ばし、’11年にPSVアイントホーフェン移籍と確実にステップアップ。小柄ながらテクニックとアイディアで「面白い選手が現れた」と注目するようになった。
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