90〗Stadion Balgarska Armia / ソフィア

第90話はCSKAソフィアの本拠地スタディオン·バルガルスカ·アルミア。2023年には百周年を迎えたから老朽化は否めない。UEFAスタジアム規格カテゴリー4に準拠した改修に着工するらしく現在は閉鎖中。CSKAが欧州のフットボ-ルファンから一目置かれる始めたのは1970年頃。二試合で決着が着かない場合はPK戦が行なわれるようになったUEFAチャンピオンズカップ。それまではコイントスで決めていたから嘘のような六十年代。1971年6月2日八万三千人が見守る旧ウェンブリー·スタジアムで初優勝を果たしたのはオランダのアヤックスアムステルダム。”フィ-ルドのレンブラント”ヨハンクライフを主役とする欧州のフットボ-ル時代の幕が上がった。準優勝はハンガリ-の伝説フェレンツ·プスカシュ:Ferenc Puskás【1927年4月2日生-2006年11月17日没】が指揮を執るギリシャのパナシナイコスだった。この年の本大会出場十六チ-ムにブルガリアのクラブが見当たらない。レフスキ=スパルタクは予選でオーストリアのアウストリア・ウィーンに敗れてしまっていた。
◇◇◇◇◇


◆◆◆◆◆

1971-72シーズンの一回戦は前年の汚名返上と、ブルガリアの威信が賭かるCSKAソフィアはパルティザーニを4-0で葬り二回戦へ。ポルトガル王者SLべンフィカの前に合計1-2のスコアで屈した。71年か73年までの間に国内リーグで29連勝を達成。欧州全体でも新記録となる偉業の真っ最中だから勢いにのまれた。ちなみにロッテルダムで優勝杯を手にしたのは二年連続となる自国のアヤックス。五得点を決めたクライフは四人の得点王のひとりに名を連ねた。そして迎えた1972-73第十八大会。二年連続参戦のCSKAは、隣国の強豪パナシナイコスとの一回戦。PK戦で敗れたパナシナイコスがUEFAに抗議。認められて翌月の再試合で勝利し晴れて二回戦へ。三連覇を狙うアヤックスとの対戦は二試合連続で三得点を許しての敗退。アウェイチ-ムの緑色のウェアに対して、白に赤い主将章と背番号十四が目をひく。先制点に続いて、CSKAの五番を華麗なドリブルで交わすクライフの駄目押し弾。二度目のバロンド-ルの栄誉に輝いたのがこのシ-ズン。このシ-ズンの決勝戦はべオグラ-ド開催。CSKAと並ぶもうひとつの『バルカンの赤星』ツルヴェナ·ズヴェズダの本拠地でイタリアの貴婦人を下して三連覇を樹立する。
雪辱の舞台は最短で用意されていた。FCヴァッカー·インスブルックに二試合合計4-0で蹴散らしアヤックスの待つ二回戦へ。初戦を0-1で落としたもののクライフがバルセロナに去ったアヤックスとの差は感じらない。手応えを感じてホ-ムでの第二戦を迎えた。
◇◇◇◇◇

◆◆◆◆◆

あの日あの時は■1973年11月7日UEFAチャンピオンズカップ二回戦2ndレグ。スタディオン·バルガルスカ·アルミアは鮨詰め状態。大声援に応えて後半23分頭で決めたのはディミタル·マラシェリエフ:Dimitar Marashliev【1947年8月31日生-2018年7月12日没】。九十分を告げる笛の音が鳴り響き、勝負の行方は延長戦に。既に選手交代枠を二つ使っているアヤックスに対して我慢で不動のCSKAのマノール·マノロフ【1925年8月4日生-2008年12月16日没】監督。延長の十五分を過ぎたところでセンタ-フォワ-ドのマラシェリエフに代えてミッドフィルダ-のプラメン·ヤンコフ:Plamen Yankov【1951年5月23日生-2019年12月14日没】を投入する。すると十分後に二枚目のカ-ドをきった直後ヤンコフが決める采配的中劇的な幕切れ。
ヨーロッパサッカー界の歴史における驚嘆のサプライズの一つとして語り継がれることに。記憶に新しいところではジネディーヌ・ジダン率いるレアル·マドリードが2016年から2018年にかけて三連覇を達成し、四連覇を阻んだのはチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦で対戦したアヤックス。第二戦か行われたサンティアゴ·ベルナベウは悲鳴の連続。怒涛の四得点で引っくり返して白い巨人の進撃を止めた。写真はそのアヤックスのファイナル進出を阻んだトッテナムとの準決勝を報じる紙面はポ-ランド語。
◇◇◇◇◇


◆◆◆◆◆

半世紀以上前、アヤックスを下したCSKAが準々決勝で対戦したのは大会を制するバイエルンミュンヘン。皇帝とジ-ザスのドラマは同年ミュンヘンでのワ-ルドカップ決勝へと紡がれる。
◇◇◇◇◇

CSKAソフィアの胸には赤い星のエンブレム。小学生の頃=1970~73年に見たのは名優·三船敏郎:Toshiro Mifune【1920年4月1日生-1997年12月24日没】のテレビCM。当時のサッポロビールのラベルでは北海道開拓使のシンボルである《北極星》が赤く輝いていた。黒ラベルが登場するのは、ベルリンの壁と共にブルガリアな共産党の独裁体制が崩壊した1989年。11月のソフィア市民による大規模なデモ行動が日本でも報じられた。共産主義や社会主義のシンボルマークである赤星から黒地に金星へ。デザイン一新の新商品が世界情勢の激変を予見していたならばおそるべしはサッポロビール社なり。

⏹️写真/テキスト:横澤悦孝 ⏹️モデル:Emilia