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石造りの建築様式が街並みと調和するイタリア。ベネデット·クローチェ:Benebetto Croce【1866年2月25日生-1952年11月20日没】大臣の美学哲学に基づき1922年建築物に限らす景観全体を保護する法律が誕生した。現在の文化財保護法の指針となっている。ムッソリーニ政権下で建築物は権力の象徴であり、古代ローマの栄光と現政権の力を誇示するデザインが採用された。古典主義的な要素にモダニズムを融合させた独特のスタイル。1932年に完成したこのスタジアムにも新古典主義様式と、ファシスト時代の記念碑的建築ではスタンダードとされたシンプルで角張った構造が用いられている。錬鉄製の手すりと金属屋根の支持構造はオリジナルのままで保護法が適用される対象。その屋根が付いたメインスタンドは、プレス席を含めても約千席。左側のホーム用西スタンドは九百弱。アウェー専用の東スタンドは六百弱を収容。
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メインと東スタンドの間には後からこさえた近代的な建物がある。更衣室やプレスルーム、VIP用の特別ルームを備えており外壁にシルヴィオ·ピオラS:ilvio Piola【1913年9月29日生】の巨大な写真が飾られている。ロンバルディア州のロッビオで生まれヴェルチェッリで育った。母方の叔父は、イタリア代表ゴールキーパーのジュゼッペ·カバンナ:Giuseppe Cavanna【1905年9月18日生-1976年11月3日没】。彼もまたこのクラブの歴史に名を残した偉大なレジェンド。対面の北側スタンドは前(15)年の改修工事で拡張、四つのスタンドを併せると合計五千五百名の収容となる。北側のゲート壁面に描かれたグラフティ。公用車のエンブレムが剥げているのもご愛敬。
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自治体からの総合競技場を借りている為、陸上トラックが気になる事の多い同国のスタジアムにしては珍しく、ピッチとの距離が短く仕切りのフェンス低いので視界良好。試合開催日はメインスタンド側に面したマッサウア通りが歩行者天国どころか完全閉鎖の通行止めとなる。
あの日あの時は■2016年8月27日セリエB開幕戦FCプロ·ヴェルチェッリ1892対アスコリ·カルチョ。観衆は二千六百人とも半分にも満たないが熱気は充分に溢れている。
選手入場時プレス席から撮影。注目の選手を両チームから一人づつ挙げるとしよう。ホームチームは手前の三十二番左ウィングのアルマンド·バユシ:Armndo Vajushi【1991年12月3日生】。黒髪のイタリア人の中で目立つスラブ系の顔立ち。アルバニアのヴラズニア·シュコドラのアカデミー出身。
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2009年7月UEFAヨーロッパリーグ(EL)予選のラピド·ウィーン戦でプロデビュー。11-12シーズンに1.FCケルンのトライアルを受けているが移籍金の額が折り合わず破断したためブルガリアへと越境。二年目のシーズンにはリテックス·ロヴチで二桁得点を記録、チームをEL出場へと導く(三位)原動力のひとりに。’15年の冬セリエAのキエーヴォ·ベローナに移籍後ASリボルノに期限付移籍。前月プロヴェルチェッリが獲得した新戦力。この年開催されたUEFA欧州選手権の予選ではアルバニア代表チームに招集されていた。
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未来のアズ-リ その才能の片鱗にふれる
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一方アスコリではバユシの右斜め後ろ(写真では右斜め上)を歩く十一番。当時十九歳の若武者が俯いている。現在ボローニャとアズーリで背番号七を背負うリッカルド·オッソリ-ニ:Riccardo Orsolini【1997年1月24日生】。この年三月にプロデビューしており、この試合から四ヵ月後にはユヴェントスに買われてマルケ州を去った。
イタリアでは珍しく人口芝を使用しているスタジアム。不可解な判定が目に付いたとはいえ、中々如何して白熱した好ゲームに。中盤の攻防ではプロヴェルチェッリが優勢で、存在感を発揮したのは右ハーフの21番ルカ·カスティーリャ:Luca Castiglia【1989年3月17日生】クーオネ県チェバの出身。典型的なセントラル·ミッドフィルダータイプ。前半イエローを貰ったもののこの日はフル出場。
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