本場のジェノヴェーゼと名前だけイタリア風のドリア
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良港として繁栄してきたジェノヴァ。地元の人々が密集して暮らす旧市街から路線バスを利用して高台へ、急勾配の坂道や階段を足の裏で踏みしめて降りる。入り組んだ細い路地ですれ違う人は皆笑顔。港町だからなのか美しさと荒々しさが混在したイタリア国内でも屈指の多様性を感じさせる街。
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種類豊富なイタリアンパスタの中でも一番の好物は、カバー写真のジェノヴェーゼ。新鮮なバジルの爽やかさと松の実の食感、チーズとオリーブ油でコクを出す。その名が示すとおり、ここが発祥の地。リグーリア料理は目の前で水揚げされた新鮮な海の幸がメイン=セコンド·ピアットとなるのは言うまでもない。その魚介類をプリモ·ピアットからは、あえて外しているのが味噌。「イタリアではパスタは前菜」と旅行経験者の声も聞くがこれは誤り。前菜とメインの間にあるのがパスタ。確かにパスタがメインという食文化は日本流のイタリアン。写真は先日ランチで訪問した表参道ヒルズのSPICA。サラダブッフェで自身が盛り付けたのが手前。中でもジャガイモが絶品ではあるが、このボリュ-ムでおかわりしたら、年老いて縮んだ胃袋にはキツい。パスタが食べきれなくなるからイタリア人とはお腹の中の構造が異なる。
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下写真はピアッツァ·プリンチペ駅。フィレンツェを出発し到着するまでの間、ビール缶を片手に車窓からリヴィエラの海岸風景を眺めていれば至福の時間。欧州を旅している時にキッチン付の宿が手配できれば調理はするが簡単なパスタだけ。時間と手間はかけない。あらゆる具材、東西問わずどんなソースでもあわせられるのだから、その万能ぶりは秀逸。高校生の時だから八十年代に入った頃か、バイトしていたイタリアレストランで初めて口にしたのがドリア。この日本で考案されたグラタンも本家に敬意を表して、十六世紀に活躍したイタリア海軍提督《アンドレア·ドリア:Andrea Doria》から名前だけは拝借している。
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第86話は、ジェノヴァにある:スタディオ·ルイジ·フェッラーリス。この連載ではタイトルどおり、スタジアムの外観もしくは内観の遠景/近景何れかのワンショットを自身の足跡として、毎回八画像の中に選んでいる。ビザニョ川に架かるジェロラモ·セッラ橋を手前に入れた構図を未掲載分を含めても五本の指に入る程気に入っている理由はマラッシの街並みにスタジアムが溶け込んでいるから。曇り空でさえなければ一番かもしれない。それ故に昨年九月の惨事が悔やまれてならない。
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サンピエルダレネーゼ:Sampierdareneseとアンドレア·ドリア、二つのクラブが合併して新たなチーム、サンプドリア:Sampdoriaが誕生したのは1946年。それにしてもクラブチーム名が英雄の名前そのまんまとは、市民からの絶大なる支持を得ていたであろう古の救世主。おそらく筆者世代がこのスタジアム(の映像)を初めて見たのは三浦和良:Kazuyoshi Miura【1967年2月26日生き】のセリエA初ゴ-ル。WOWWOW以外にも地上波スポ-ツ報道が繰り返しゴ-ルシ-ンを流したのだから。91年にスクデッドを獲得し’92年の旧ウェンブレ-では延長の末ドリ-ムバルサに屈したチ-ムと比べても、遜色ない豪華な顔ぶれ。バルサ戦と両方の試合に出場したのは1982年から97年まで在籍した主将のロベルト·マンチ-二:Roberto Mancini【1964年11月27日生】ぐらいか。KAZUのゴ-ルの一分後に追い付かれると二十三分、七番アッティリオ·ロンバルド:Attilio Lombardo【1966年1月6日生】は髪がなくても動き出しは素晴らしい決勝ゴ-ル。正直あの日あの時のルイジ·フェッラーリスと言われてもジェノアの試合が浮かばない。
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