80〗Nagyerdei Stadion / デブレツェン


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本田圭佑が一言呟くだけで騒めいたマリノス株の売却

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かつてACミランから十番のユニフォームを渡された本田圭佑:Keisuke Honda【1986年6月13日生】。投資家·起業家としてそのセカンドキャリアでも話題には事欠かないが、引退はしていないので“氏”は省略する。先月末に日産自動車がJ1横浜Fマリノスの株式売却のニュースに対して反応し、自身のX(旧ツィッター)で記事を引用し「ちなみにいくらなんやろ」と投稿した。以前からビッグマウス、傲慢などとアンチも多数存在する。ただ先日同年代の方と本田氏について話す機会があったのだが、二十歳も年齢が離れた還暦世代からの好感度は高い。「若いうちから丸くなり過ぎないほうがいいね」と年寄り達は呟く。
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十二年前の初観戦 この男には見覚えがある···気がする

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2013年6月1日ネムゼティ·バイノクシャーグI最終節でMTKブダペストとDVSCが対戦。映像も含めてハンガリーの国内リーグ戦を九十分眺めたのはこの日が生まれて初めて。老朽化で取り壊されたヒデグチ·ナーンドル·シュタディオンの旧施設にも質素なプレス席があり、その手前の一般席最後列で観戦していたのはグレーのパーカーにデニムのベストの男性。かなりラフな服装でもただならぬオーラを感じる。ユニフォーム姿でなくても気づいたであろうハンガリアン·フットボーラーは三人のみ。当時はA代表のレギュラークラスの名前すら出てこない。
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アヤックスと対戦したハンガリアンだけは知っている

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二人目はローランド·ユハス:Juhász Roland【1983年7月1日生】。この人もMTKブダペストでキャリアをスタートしており2004年のジーコジャパンの東欧遠征で代表デビュー、更に初ゴールまで決めているのだが正直記憶にない。この大型センターバックが本領を発揮するのは2005年RSCアンデルレヒトへ移籍してから。09年にはリーグの最優秀ディフェンダーを受賞する。10-11シーズンから二年連続でUEFAヨーロッパリーグのグループステージ突破に貢献。ベスト32でアヤックスとAZアルクマールのオランダ勢に連続して敗退してしまうのだが、ユハスは全試合フル出場でその名前が脳内にインプットされた。この12-13シーズンのアンデルレヒトはUEFAチャンピオンズリーグにエントリーするがユハスは初戦ジュゼッペ·メッツアで途中出場のみ。そして三人目がジュジャーク。印象深いのはオランダ移籍二試合目にして初得点を記録したVVVフェンロー戦。同じく冬の移籍でこの日がオランダデビュ-戦となる本田圭佑の目の前で決めた一撃。この前半12分からスコアは動かず1-1のドロー。

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本田VSジュジャ-ク モスクワでの再戦

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VVVフェンローの二部降格/昇格を経て’09年の開幕戦フィリップス·スタディオンで再会。ジュジャークのクロスにオラ·トイヴォネン:Ola Toivonen【1986年7月3日生】が頭であわせPSVが二点をリ-ド。後半からはこの日主将章を巻いた本田が本領発揮の1G1Aでフェンローが追い付きその後双方1点を加えてのドロ-。それから二年半を経て’12年3月にモスクワで顔をあわせた両雄。CSKAのトップ下に君臨する本田の前にディナモの十一番をつけたジュジャーク。オランダでは所属クラブに実力差があるなかで健闘したのは若き日の本田。ロシアでは互いに首都のクラブで同格。両者が共にアシストを記録し1-1の引き分け。翌月の再戦は1-0でディナモの勝利。決勝弾を演出したのはジュジャーク。’13年10月もジュジャークの左足で先制し結果は0-2。本田との対戦ではハンガリーのエースが活躍した印象が強くおそらく本田は一勝もしていないはず。同年齢でポジションも被る二人、共に母国からオランダ経由でロシアへ。本人達の知らないところで筆者の頭の中では日本代表エ-スのライバル/天敵キャラクターとして出来上がっていた。
ブダペストのスタンドで見掛ける五日前にロシアプレミアリーグは一足早く閉幕。オフを母国に戻り、古巣の後輩達を応援しようとヒデグチ·ナーンドルに立ち寄ったのだろう。