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2010年1月から13年、そして19年から22年の二度在籍。計百四十六試合に出場。現役生活の1/3をこのクラブで過ごした。一試合選べと言われれば’12年10月のホッヘンファイム戦。前半クロスに頭であわせて先制、後半開始直後に右足で追加点、最後はコーナーから再び頭で決めてハットトリック達成を達成した。ホッフェンハイムは背番号33宇佐美貴史がフル出場した試合だったから覚えている日本人の方もいるのでは。
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二百三十三試合の記録を残して音楽と白い黄金の都へ カリム·オニシウォ
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第二位は今季レッドブル·ザルツブルグへと移籍した元オーストリア代表カリム·オニシウォ。15-16シーズンに加入以来計九年間の在籍で二百三十三試合に出場。
実績だけならば文句なく首位。見事な体躯はナイジェリア人の父親譲り。このオニシヴォ父とダビヴィド·アラバ:David Alaba【1992年6月24日生】の父はウィーンに移住する前、ラゴスで暮らしていた頃から顔見知りだったらしい。
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そして第一位には南米からは唯一のランクインとなるジョン·コルドバ:Jhon Córdob【1993年5月11日生】。出身地はイストミナ。母国からメキシコのクラブを渡り歩き2013年スペインへ。
英レスター·シティに岡崎が移籍した’15年。リーガ·エスパニョーラ(当時)のグラナダCFから元U20コロンビア代表が期限付移籍。六節アウェーのバイエルレバークーゼン戦に残り九分、武藤との交代でワントップに入った。
序盤は負傷に泣かされたが年明けから調子が上がり、3月3日24節は後半途中出場で終了四分前に決勝弾。首位バイエルンから金星を手にした。完全移籍した16-17シーズンはELグループC全六試合に出場。翌17-18シーズンに四年契約でケルンへと移籍、開幕戦コルドバをワントップスタメン起用も0-1で黒星スタート。そこで二節ハンブルガーSV戦から大迫勇也:Yuya Osako【1990年5月18日生】とのツートップ配置も奏功せず連敗。ならばとコルドバのワントップ、大迫をトップ下の縦の関係を試みたドルトムント戦は0-5の大敗。八節にコルドバが負傷リタイア。結局十六節までの未勝利のケルンは二部へと降格する。シーズン終了後にはFIFAワールドカップロシア大会が開幕。グループHの初戦、日本代表のスタメンには大迫、ベンチに武藤の姿はあってもコルドバはコロンビア代表のメンバーから落選していた。二部のケルンで二十ゴールを記録し最短での昇格に貢献している。ヘルタ·ベルリンを経て21年にロシアプレミアリーグのFCクラスノダールへ。写真はモスクワで撮影したが迫力は相変わらず。以来今季で五シーズン目を迎え129試合に出場62ゴールを記録している。昨シーズンのクラスノダールは国内王者に。自身も最優秀選手賞を受賞している。三十二歳の現在、A代表でもレギュラーに定着。隔離されたロシアから抜け出し視線をイタリアに向けているとスペインのメディアが報じるも結局残留したのは些か残念。
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あの日あの時は■2017年5月13日ブンデスリーガ第三節1.FSVマインツ05対アイントラハト·フランクフルト。観客数は三万四千人。後半五分に追加点を奪われ二点ビハインドのホームチーム。コルドバのゴールで反撃の狼煙を上げる。セットプレーを活かして同点。ハイライトは後半三十一分、ボージャン·クルキッチ:Bojan Krkić【1990年8月28日 生】のクロスを頭で決めたのは武藤。大逆転劇はアディショナルタイムに加点して閉幕。最終戦のケルン戦は0-2の敗退で沈黙なので、コルドバのマインツでのラストゴールとなった。
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危険と魅惑の国 行くことはないであろうコロンビア
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