東欧の田舎にまで波及した『Abe shooting』の衝撃
旧東欧の地方都市を旅していると日本人が珍しいのか、馴れ馴れしく話しかけられる。ひけらかす知識も悪気はなさそうなのでニコニコ頷いていたのだが「Abe shooting」の言葉で一瞬息を呑んだ今春のスロベニア。治安の良さで名高い日本で白昼堂々の狙撃事件が発生すれば世界が驚くのも当然か。
かつてクロアチア人にか「スリや置き引きが横行しても、殺人事件は久しく起きてない。毎月殺人事件のニュースがある日本は怖い国だよ。」と言われた事が思い出された。
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レアンドロ・アルピナーティ【1892年2月29日–1945年4月22日】三部作も今回で完結。ファシスト運動おいてカリスマ的だったのが全国区のムッソリーニとボローニャのアルピナーティ。国家が経済に介入する協同体主義をアルピナーティが批判したあたりから両者の関係に亀裂が生じる。非ファシストとの向き合い方、言論・報道の自由化、宗教政策においても悉く対立。1934年7月26日反体制陰謀罪の容疑でアルピナーティ逮捕、監禁まで悪化する。
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プロレスラー・一行と共に降り立ったシェルメチボ空港
アルピナーティをロシア人に重ねるならば昨年他界したミハイル・ゴルバチョフ氏:Mikhail Gorbachev 【1931年3月2日-2022年8月30日】か。
1986年4月にペレストロイカを提唱しソビエト体制の改革に着手。同政策の柱となったのがグラスノスチ即ち情報公開だった。
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第話はモスクワのルジニキ・スタジアム。1982年10月20日UEFAカップ2回戦での大惨事。当時の名称はセントラル・レーニン・スタジアム。当初死亡者は66人と公表されていたはずが、グラスノスチ以降の89年からは死者340人と紙面の数字を修正されていた。
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同年スポーツ平和党を結成して参議院選挙に初当選したプロレスラーの故アントニオ猪木氏 Antonio Inoki 【1943年2月20日-2022年10月1日】。間もなく一周忌を迎える。
スタジアムに隣接する屋内競技場でプロレス初興行を開催したのは大晦日。アエロフロート機に搭乗する新日本プロレス一行と同便に乗り合わせる偶然は嬉しいサプライズ。