63〗Letná Stadion / ズリ-ン


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ヴィクトリア·プルゼニでCL,スパルタ·プラハでELを経験。代表では’12年のUEFA欧州選手権、ポーランド戦での決勝ゴールで八強に導いた歴戦のツワモノが主将を務める。スコアレスで前半を折り返すと試合が動いたのは後半30分過ぎ。スラヴィアのコーナーキック。オウンゴールで先制点を許したズリーン。残り五分を時計の針が指す寸前値千金のPKを獲得。ヴカディン·ヴカディノヴィッチ:Vukadin Vukadinović【1990年12月14日生】が決めてドローに。ベオグラード出身のセルビア人は 2009年からチェコでプレー。’11年からヤブロネツに所属し’15年にスラヴィア·プラハへ期限付き移籍。次に貸し出されたファスタフ·ズリーンでの好パフォーマンスでウィンターブレイク中スラヴィアが獲得を打診したがズリーンは放出を拒んだ。’17年6月からのスパルタ·プラハでは出番がなくズリーンへの貸し出しが決定。このスラヴィア戦が復帰三試合目だった。’21年に母国に戻るものの翌’22年には弱体化著しいトリニティ·ズリーンにカムバック。背番号はかつてジェレズニクが背負った七十七番。このシーズンこそ入れ替えのプレーオフが降格は回避したものの翌23-24シーズンでは最下位。救世主にはなれなかった。
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ズリ-ン一筋 名前が変わっても守護神はが動かない

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昨季のチームは二十一勝一敗八分の圧倒的な無双ぶり。最短でのトップリーグ復帰を果たした。’18年以来六年ぶりとなるミロシュ·コペチュニーの復帰。累積警告で欠場した16節の一試合を除き無敗をキープした24節までスタメンフル出場を続けた。ヴカディノヴィッチもチームに残りリーグ戦二十六試合に出場九得点十アシストを記録する。右サイドは攻撃の七十七番 守備の二十三番がシーズンを通して安定した好パフォーマンス。しかし最大の功労者はゴール前の十七番スタニスラフ·ドスタル:Stanislav Dostal【1991年6月20日生】。

上写真で右の髭面で怒鳴るイラ-チェクと左で顔をあわせるベンチコ-トのジェレズニク。その間に黒いウェアのドスタルも。
ズリーンに生まれ ’99年からユースアカデミーで育てられた生え抜きは’08年にトップ昇格。同年11月15日のSKシグマ·オロモウツ戦で十七歳四ヵ月十九日で出場。これはチェコ一部リーグにおけるゴールキーパー最年少デビューの新記録を更新。同国の伝説ペトル·チェフ:Petr Čech【1982年5月20日生】より二週間早いデビューだった。このシーズンに二部降格すると六年間二部暮らし。一部復帰した15-16シーズンもシーズンの2/3はベンチに腰を降ろしていたからレギュラーとは言い難い。それでも’17年のカップ戦決勝にも出場し、クラブの歴史において初となるEL初戦のシェリフ·ティラスボリ戦は無失点で勝ち点を獲得。気が付けば三百試合を超えており栄光の階段を一歩一歩昇ってきたフットボ-ル人生。シーズン前にはクラブと ’27年までの契約を更新した。今季はここまで四勝二敗一分と昇格クラブにしては上々のスタート。リーグ戦はここまですべフル出場を果たしている。
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ドストルとコペチュニーの名前はあってもヴカディノヴィッチが見つからない。上写真は’17年12月のズブロヨフカ·ブルノ戦を撮影。昨季ズリーンが最終節で対戦したSKリシェニから改名したアルティス·ブルノで今季はプレーしている。
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モラヴィアの血を受け継ぐ麗しの秘密兵器は今何処に

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バイデン政権からの大幅な方向転換の中でも、ハーバード大学の留学生への資金援助打ち切りなど過激ぶりが際立つ。あらためて思うに第一次政権時の補佐官、愛娘のイヴァンカ·トランプ:Ivanka Trump【1981年10月30日生】氏の存在が大きかったか。モデルとして脚光を浴び実業家として手腕を振るいその人気から「秘密兵器」とも。ガラスの天井が厚いアメリカで女性大統領が誕生するならば「この人しかいない」と思わせる桁外れの才色兼備。原稿を読まないとスピーチできない日本の政治家には YouTube動画の十分間に渡る彼女のスピーチを見るべきとお薦めする。FIFAクラブワールドカップも昨年十二月マイアミでの組み合わせ抽選に彼女が登場しただけで大会の権威が上がったと思ったのは自分だけだろうか。