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アジア杯グループD、日本VSパレスチナ ~機能可変型3-4-3

日本代表4ー0パレスチナ代表
得点者【日本代表】遠藤(8分)、岡崎(24分)、本田(44分、PK)、吉田(49分)
システムを攻撃時と守備時に変化させる可変型システムを採用しているアギーレ流に光!

【スターティング】

“補強”したベテラン選手主体でアジアカップに挑む

 ハビエル・アギーレ監督就任後初の公式戦となる今大会のアジアカップ。アギーレ監督は就任から強化試合6試合を戦い、まずはいったんブラジルW杯惨敗に終わったチームを解体。9月は代表初選出となる選手を中心に、10月には代表で出番の少なかった中堅選手を多く招集。アルベルト・ザッケロー二前監督の体制下ではメンバー固定化された事の弊害もあって、アギーレ監督のアプローチは多くの選手へ刺激を与えてチームを底上げする要素になりました。

 そしてブラジルW杯出場を果たしながら日本と同様にグループリーグ敗退に終わったホンジュラスと豪州との連戦が組まれた11月。10月のブラジル戦で惨敗した課題を埋めるため、目前に迫ったアジアカップへの最後の実戦の場という時間的制限を埋めるため、アギーレ監督は”満を持して”代表メンバーにベテラン選手の復帰を敢行。”補強”というイメージに近い格好で、遠藤・長谷部・内田篤人を招集し、長谷部にはいきなりキャプテンマークを託してスタート。

 武藤以外はブラジルW杯メンバーを並べたホンジュラス戦は6-0と圧勝。しかし、ザッケローニ監督時代と同じメンバーであっても、”アギーレ色”の出たショートカウンターやハーフカウンタを繰り出す攻撃と守備のバランス感覚とメリハリのつけ方が冴えた完勝でした。

 そのホンジュラス戦を経ての豪州戦では影響から右SB内田は欠場し、左SBだった酒井高徳が右SBへ回り、空いた左SBには10月の2試合で確かな存在感を示した太田宏介が入るのみの布陣でスタート。やや膠着したものの、システムを<4-2-3-1>に変更してMFに今野泰幸を投入。ボール奪取からのショートカウンター狙いが奏功して流れを替え、2-1と勝利し、アギーレ体制初の連勝で強化試合の日程を終えました。

 12月に発表されたアジアカップのメンバーには、その11月シリーズで活躍したブラジルW杯メンバーが並ぶというチーム編成で今大会を迎えるに至りました。(代表メンバーと背番号は当ブログ右側のスペースに掲示)

 今大会を迎える当たり、日本サッカー協会は4年前の前回大会で天皇杯が元日まで開催されたために代表選手の休養が取れずに大会前後のシーズンにもコンディションの影響が危惧されていたため、天皇杯決勝を3週間ほど前倒しに開催して日程を調整。これにより年末から国内合宿をスタートさせて、年明けに現地・豪州へ移動して直前合宿を敢行。直前のクラブW杯3位に躍進したオークランド・シティや地元クラブとの練習も組み込み、就任後に全く十分な時間をとれなかったアギーレ体制後の日本代表は、フィジカル・戦術両面での準備期間を確保することが可能となりました。指揮官のスペイン時代の”八百長疑惑”もやっと国内では終息モードになってきたところで、今回がスタートに至りました。

 迎えたアジアカップ初戦となったこの日、先発メンバーには負傷で大会を事態した内田篤人以外は予想通りのメンバーで、ホンジュラス戦と違いのは左ウイングに武藤ではなく乾が入ったのみ。乾はコレがアギーレ体制初先発となってのスタートとなりました☆

【パレスチナ代表/FIFAランキング115位】

 アジアでは独立が認められている事を豪州で示す理由

 パレスチナ自治州はアジアカップ本大会には初出場となるFIFAランキングでは115位の“国”。いくら注目選手がどうだ、と分析しても日本とは大きな実力差があるため勝敗を左右するモノは乏しい限りです。

 紛争でヨルダンへ移民として逃げ込む人々も多い中、サッカーパレスチナ代表チームはアジアチャレンジカップで優勝。悲願のアジアカップ初出場を勝ち取りました。その快挙により今大会を戦うチームの選手構成も、ヨルダン側から9人、戦地下にあるガザ地区から7人、イスラエル側から4人、欧米から3人という日本では実態が把握できないであろう複雑な事情を持った選手達が集まった”特別なチーム”。

 そして、先月30日には国連でイスラエルとパレスチナの「平和的解決策」としてパレスチナの独立を認めるかどうかの採決が行われ、当然のように米国が反対するのは当たり前として、このアジアカップの開催地である豪州が“反対”した事で、パレスチナの独立は見送られる事になりました。よって、このサッカーパレスチナ代表チームが、アジアカップでは“独立国”として豪州で試合をこなすことが、選手達や“国民”にとってだけでなく、世界的にも大きな政治的関心事だったのではないでしょうか?