Foot ball Drunker〔157〕visiting『Hidegkuti Nándor Stadion』ブダペスト / ハンガリ-


◆◆◆◆

写真のコーナーキッカーはこの試合で最も印象に残ったMTKの19番。主将章を巻いたゲ-ムメ-カ-は自ら得点も決めてチ-ムを鼓舞した。四日後ギョ-ルETO-Parkで行われたクウェートとの国際親善試合でも同ポジションを任されてスタメン。ヨジェフ·カンタ:József Kanta【1984年3月24日生】にとっては2007年2月のラトビア戦以来六年ぶりとなる国家代表での晴れ舞台となった。

翌14年4月26日の再訪時、 観客は僅かに600人。ロンバルド·パーパTFCとの試合では背番号30シャンドール·トルゲル:Sándor Torghelle【1982年5月5日生】の二得点で勝利。前年11月にヴィデオトン(現フェヘールヴァール)を退団した元代表ストライカ-を年明けに獲得。’04年以来10年振りとなるMTK復帰で衰えない得点感覚を披露してくれた。


◆◆◆◆

60~65億フォリントHUFの予算を費やして約5,000人収容規模=UEFAスタジアムカテゴリー3基準の新スタジアム建設が発表されたのは2016年。ヘルメットを被った工事業者が連日足を運び2013~14シーズンが終わると旧スタジアムの取り壊し作業にかかった。UEFAの基準を満たすには、4500の一般席と250席のVIP席が必要。繰り返すが600人の集客力、MTKの財政規模で新スタジアムはできるはずもなく施主はハンガリー政府。

現在のクラブ会長は1999年から2002年までスポーツ大臣を務めた欧州議会議員タマーシュ·ドイチュ:Tamás Deutsch【1966年7月27日生】氏。入閣当時は同国五輪委員会の副会長を兼任していた。二度の離婚歴があり息子のベンツェ·ドイチュ:Bence Deutsch【1992年8月4日生】は元ハンガリーU21代表。2010年5月に会長に就任したドイチュもユダヤ人。


◆◆◆◆

近代的なスタジアムに様変わりしプレス·ジャケットもこのようにオリジナルデザイン。これは格好いいと着用して鏡を見たら上下が逆。笑顔で周りの方達が着せてくれたから嬉しいやら恥ずかしいやら。

最後の訪問は’19年5月19日のシーズン最終節ホンヴェード戦。スタメンのアダム·ピンテル:Adam Pinter【1988年6月12日生】を撮影。 2004年に16歳で青白のユニフォームに袖を通し、’06年のトップデビュー後レアル·サラゴサやロシアのトム·トムスクでもプレーはしているのだが21年に及ぶ現役生活の大半をブダペストで過ごす。MTKブダペシュトでの160試合出場に2015-16シーズンのフェレンツバロシュも加わる。そのキャリアのハイライトは2016年6月16日のEURO2016グループF、フランス·リヨンでのポルトガル戦に尽きる。ジュジャークの2ゴールであと一歩まで南欧の雄を追い込みながら3-3のドロー。それでも堂々の首位通過でベスト16に。16番ピンテルは90分フル出場し中盤で奮闘。勝利に大きく貢献した。


◆◆◆◆

スパイクを脱ぎ後進の育成に力を注ぐこの世代。ドンビは現在デブレツェンVSCのコーチに就任。トルゲルはフェヘールヴァールのトップチームで、ピンテルもMTKで同職を務めピッチサイドで目を光らせている。

日本のサッカーファンに96年の出来事を問えば五輪出場/マイアミの軌跡と答えるが、欧州のフットボールファンには間違いなく前年暮れのボスマン判決を受けて①契約終了により移籍が自由化。②EU内でのボーダーレス化。即ち欧州蹴球界が現在のマネーゲームへと変貌を遂げる節目の年として記憶に刻まれている。


◆◆◆◆