89〗Fortuna Arena / プラハ

■あの日あの時は2017年9月4日UEFAヨーロッパリーググループステージ第一節スラヴィア·プラハ対マッカビ·テルアビブ。試合はトマーシュ·ネツィド:Tomáš Necid【1989年8月13日生】が決めた虎の子の一点を守りきり白星発進。この試合はヤロミール·ズムルハル:Jaromír Zmrhal【1993年8月2日生】とヤン·シコラ:Jan Sykora【1993年12月29日生】、左右に前年A代表に招集されたチェコ人ウインガ-を配してストッフには二列目の中央を任せたシルハヴィ。その後、アスタナとアウェ-で引き分け、ビジャレアルとはドロ-と黒星、アウェ-のテルアビブ戦は勝利、12月7日の最終節、勝ち点八の同点。ビジャレアルがテルアビブと引き分ければアスタナ戦勝利で逆転ベスト32への道が開ける。
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前回も少々ふれたが、’97年のワ-ルドカップ予選で日本代表と対たカザフスタンのクラブがUEFAに移籍するのは構わないが、欧州を名乗るのは烏滸がましい。2005年に黒川紀章設計の新タ-ミナルが完成したヌルスルタン·ナザルバエフ国際空港から、プラハへの直行便は当時運航していなし、チャ-タ-機を所有しているとは思えない。しかし昨年五月からカザフスタンのSCATエアの運航ボーイング737-800型機が週二便運航しているのだから侮れない。

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アスタナバスと偶然の遭遇 声を掛けてはみたけれど

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何処の都市を経由してきたかは知らないがこの遠征のためFCアスタナの一行が宿泊したのはノスティコヴァ·ヘリテージホテル。上の写真で選手達が乗るバスの上には、フィンランドの国旗が写っている。この建物にはノルウェ-大使館、日本大使館広報文化センタ-も入っており打ち合わせの時間に通ったら偶然の出会い。カザフ語などまったく話せないがロシア語は通じるはず。ドーブリージェーニの後は「I’m Japanese. Near to Asia, rooting for Astana!」と拳を握ったら選手には無視されたものの運転手は握手してくれたが彼はチェコ人ではないのか。ちなみに語学力のある方ならば「Close to」を用いるのだろうが、サッカ-用語のニアとファ-しか浮かばなかった。しかしこの社交辞令の応援がモノを言ってアスタナが勝利。グループステージ敗退となり年明けを待たずに首を切られたのがシルハヴィだった。
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上写真黄色ビブスは左がズムルハル、そして奥の右がトマーシュ·ソウチェク:Tomáš Souček【1995年2月27日生】。この練習風景は試合前日か、前々日の撮影。近づくと「撮るな!」と叱られそうな気がして距離を置いた。やはり事前に激励をしなかった事がスラヴィアの敗因だったならば忝ない。スラヴィアとチェコ代表とくればソウチェクをスル-するわけにはいかない。プラハの南東ハブリーチクーフ·ブロト出身。2013年からSKスラヴィア・プラハへ。19年には五年契約にサイン。主将としてCL2019-20には、グループFにFCバルセロナ、インテル、ボルシア·ドルトムントと対戦。翌年ウエストハムに移籍して先週のバ-ンリ-戦がプレミア二百二試合目に二試合連続弾を決める活躍。説明するまでもなくチェコ人の世界最強英プレミア最多出場記録を更新中である。
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