104〗EPET Arena / プラハ

森保ジャパンが英国へ 廻国修行に金と力を注げたジ-コの時代

◇◇◇◇◇

日本代表の強化試合を行う英国遠征。ウェンプリ-のイングランドに続きハムデンパ-クのスコットランド戦が決定した。この時期まだFIFAワールドカップ(WC)予選プレーオフを行うほどの過密スケジュール。UEFAネーションズリーグを始めてから、欧州勢との対戦は希少価値が高まっているが、その昔日韓大会からドイツ大会までの四年間は、公式大会以外の親善試合のための海外遠征を計七回も行っている。観光客気分で来日され、流した試合をされるより、敵地で本気の相手との手合わせをジ-コ:Zico【1953年3月3日生】が望み協会も予算を費やした夢のような時代。

プラハ国際空港から早朝便でロンドンに発つ。深夜空港に入り、アルコールを注入して搭乗口が開くのを待つ。初めてプラハを訪問した2007年の冬、ドレスデンから列車でポドババ駅に到着すると既に日が暮れていた。市内中心部から外れた宿を手配したのは若気の至り・・・といえるほど若くもないのだが。街灯のない暗闇を歩くのは都会暮らしに慣れてしまっているから結構怖い。辿り着いてまずはチェコ産のビ-ルで喉を潤した。結局一時間近く駅周辺を歩き回った後だけに美味さは二倍増し。
◇◇◇◇◇


◆◆◆◆◆

第104話はチェコプラハのEPETアリ-ナ。ヴァルタヴァ川の西岸にあるレテンスケー公園。この周辺レトナ地区はスポーツ施設が目白押し。’03年からの四年間は日本のTOYOTAが冠スポンサーだった。空港では旧東欧を代表する自動車メーカー、シュコダ:SUKODAのラリーカーが展示されていた。十九世紀に創業されてからの発展は軍事製品の輸出が牽引したイメージが強い同社。ディスプレーにはモーター・スポーツ以外の競技だと自転車とアイスホッケーへのスポンサードが表示されているがフットボールは見当たらない。前日目にしたアウェーチームの胸にそのエンブレムを確認してはいたのだが。2010年代チェコリ-グの王道は一時ヴィクトリア・ピルゼンが首都のクラブを片隅に追いやりど真ん中に。覇権を奪還したスラヴィアプラハが18-19から三連覇。そのスラヴィアがACスパルタ・プラハの三連覇を阻止したのが昨シ-ズン。今季も首都の二強が先頭を走る展開。より過去を振り返っても、ACスパルタ・プラハが輩出した三人の巨星の輝きは今も色褪せていない。
◇◇◇◇◇

代表監督を電撃解任されたのは、日本で最も活躍したチェコ人

◇◇◇◇◇

元祖チェコ人といえば、’91年スラヴィアからに東日本JR古河に加入したパヴェル・ジェハーク:Pavel Řehák【1963年10月7日生】の名前が浮かぶ。そして1990年WCイタリア大会八強入りしたチェコスロバキア代表の主将を務めたイワン・ハシェック:Ivan Hašek【1963年9月6日生】が’94年サンフレッチェ広島入り。昨秋の代表監督電撃解任された元協会会長は中学生年代からスパルタユ-スで研鑽を磨く。’94年サントリーシリーズ17節でヴェルディ川崎と対戦。ハシェックがハットトリック(二発はヘディング)を達成して勝利。このシリーズは現日本代表の森保一:Hajime Moriyasu【1968年8月23日 】監督と共に優勝トロフィ-を掲げた。ジェフ市原でプレーした後、帰国するとスパルタへ復帰。’98年引退後はクラブに残りスポーツディレクターを務め’04年からはパヴェルとの同級生コンビでヴィッセル神戸を指導していた。
◇◇◇◇◇


◆◆◆◆◆

スタンド最前列まで降りてきてくれた“アイアンハ-ト”の掌の感触

◇◇◇◇

二人目はパヴェル・ネドヴェド:Pavel Nedvěd【1972年8月30日生】プラハで生まれ’92年(当時十九歳)に加入。チェコがスロバキアと別れていきなり準優勝したUEFA欧州選手権=EURO’96でブレイクするとプラハを離れてイタリアへ。ユヴェントスがリヨンに遠征したUEFAユ-スリ-グの試合前、スタンドの騒めきにレンズを向けると後光か射していた。ネドヴェドがユヴェントスの副会長に就任して既に一年が経過しており「パヴェール!」と声をかけて近づき右手を差し出し、左手にカメラを構えたためこんな妙な写真になった。黄金のバロンドールを頭上に掲げたプラハでの姿をCM前か後だったか、日本テレビの電波が届けてくれたのは2004年4月28日。手を握ったのだから間接的にバロンドール=黄金の球型トロフィーに触れたと満足に浸る。
◇◇◇◇◇