また「number」など一般スポーツ雑誌にもサッカーの記事が多数乗るようになり、競争は激化した。こちらは速報性ではなくサイドストーリー的なもの中心としたものが特徴で、単なるインタビューだけでなくそれを再構成するスタイルが注目され、雑誌よりもライターに脚光が浴びる大きなきっかけとなった。(それまでは新聞同様、記者と言われることが多かった)
こうした個性的な雑誌が増加する中、一方であくまでゼネラルスタイルをとっていた「サカマガ」「サカダイ」だったが、冒頭書いたように後発の「footballista」を追うように各号ごとにテーマを決めるスタイルを全面に出し、結果よりプロセスを重んじるスタイルへと変化していった。
また「サッカー批評」の分裂はそれ自体が各誌らしいし、厳しい論調と特異な議論設定は色々勉強になる記事が多くある。
一番スタイルが変わっていない「ワールドサッカーダイジェスト」も多くの海外ライターの翻訳記事が載っており、他では見れない構成になっている。
このように振り返ると見えてくるものがある。
それはサッカーファンの多様化、より具体的に言えば、サッカーに何を求めるのかが人によってかなり違ってきていて、その需要に応えるかのように雑誌が対応してきたことだ。
スタジアムに行けば本当に色々なタイプのサッカーファンがいることがわかる。
じっくりメモを取りながら観戦する人、プロ顔負けのカメラを持参し熱心に撮影している人、開場時間より早く気て待機列で酒盛りをしているひと、自慢のゲーフラを掲げているひと。
そしてスタジアム観戦をしたことがない人はもっと大勢いるわけだから、その多様化は推し量れる。
おそらく一つのスポーツでこれだけの種類が存在するのは、他の競技では考えられない。
そのことはつまり目に映るサッカーが人によって違っていて、でもそれでも共存していく姿。
そう、それ自体がサッカーの何よりの魅力。
だからこうしたことは歴史の必然なのかもしれない。
もちろん今後もスタイルはどんどん変わっていくだろう。