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スポーツの理想を体現するドジャース、中田英寿時代のペルージャ

偉大なるジャッキー・ロビンソン ~メジャーリーグ初の黒人選手

 1947年4月15日はアメリカの野球リーグMLB(メジャー・リーグ・ベースボール)で初めて黒人選手がプレーした日です。彼の名前はジャッキー・ロビンソン。当時の彼はブラックリン・ドジャース(現在はロサンゼルスに移転)に在籍していました。

1997年には彼が来ていた【背番号42】がメジャー全球団で永久欠番となり、2004年以降は毎年4月15日の試合には多くの球団の選手や審判団もが42番を着てプレーする“ジャッキー・ロビンソン・デー”が制定されており、今年も42番を1日限定で来てプレーする選手を観ました。

 現在でも人種差別が激しく、様々な問題が起きているアメリカにおいて、1947年当時に彼が受けていたであろう困難は想像を絶するものでしょう。ドジャースの会長であったブランチ・リッチ―さんからも、「君はこれまで誰もやっていなかった困難な戦いを始めなければならない。その戦いに勝つには、君は偉大なプレーヤーであるばかりか、立派な紳士でなければならない。仕返しをしない勇気を持つんだ」という言葉は、アメリカの公民権運動の指導者であるキング牧師(本名マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、「私には夢がある」で有名。)の言葉にも似ています。

 キング牧師のような言葉を白人であるリッチ―会長が使っているのも奥深さを感じます。ジャッキー・ロビンソンの困難も計り知れないものですが、リッチー会長やドジャースの人々が受けた困難も計り知れません。ドジャースは偉大なチームだといつも思います。

スポーツ観戦の理想はLA・ドジャース 5年連続の新人王が在籍する多国籍軍団

 僕にとっての理想のスポーツ観戦の楽しみ方と言えるベースは、実はサッカーではなく野球にあります。小学生の時は放課後に帰宅すると玄関にランドセルを置いて、周辺に住む友達と野球をしていたから、というのもありますが、こと「スポーツ観戦」の楽しみとしては、阪神タイガースの試合よりも、野茂英雄投手が在籍したMLBのロサンゼルス・ドジャースの試合が本当に楽しかった思い出として残っています。

 上記のように、野茂さんが在籍していたドジャースは1947年に黒人選手が初めてプレーしたチームであり、その初の黒人メジャーリーガーであるジャッキー・ロビンソン氏がつけた背番号【42】は永久欠番になっています。そうした異文化を取り込む球団として、ドジャースは多国籍軍団でもあり、黒人選手の多さはもちろん、日本人の野茂さんが入団する1年前には、後にメジャーで5年連続2桁勝利を記録する韓国人のパク・チャンホ投手が入団していました。

 また、当時のドジャースの打線が魅力的でした。3番のマイク・ピアザ捕手、4番のエリック・ケアロス一塁手、5番のラウル・モンデシー外野手、6番のトッド・ホランズワ―ス外野手の4人は全員が新人王を獲得した選手で、この4人プラス1995年の野茂さんの受賞も合わせて、5年連続新人王の選手を輩出した球団でもありました。(※1992年からケアロス、ピアザ、モンデシー、野茂、ホランズワ―スの順番で受賞。)

 ヤングスター集団であり、多国籍軍団でもある一方で、1番を務めていたブレット・バトラー外野手(現在はイチロー外野手が在籍するマイアミ・マーリンズの3塁ベースコーチ)はアメリカ人の大ベテラン。しかも彼は「バントヒットの名手」として知られ、40歳まで盗塁や好守でもチームを牽引するトップバッターでした。そんな彼は野茂さんが新人王を獲得した翌年に当たる1996年シーズンの途中に扁桃腺ガンを患って手術しながら、シーズン終盤に復帰して地区優勝にも貢献する姿が感動的でした。また、トミー・ラソーダという愛嬌溢れる監督が21年間も監督を務めていた事もチームのキャラクターを象徴していたとも言えます。

 そんな文化としての多様性を感じる事ができ、今までメジャーリーグなんて観た事がなかった僕のような日本人にとっても、明らかに解りやすいキャラクター性や特徴を持った若い選手、またはバトラーのような職人肌の選手までが観られるドジャースの試合はとにかく楽しみでした。選手の名前も上記のような関心が強いために自然と覚える事が出来ます。20年経った今でも忘れる事はありません。

“一芸”に秀でた選手が揃ったペルージャ 韋駄天・ラパイッチに、”短パン守護神”まで

 同様にサッカーでは、1998年の夏に日本代表MF中田英寿が移籍したイタリア1部リーグのACペルージャにドジャースの試合を観戦するような楽しさが感じられました。特徴的な選手がたくさんいたのです。

 GKからして、1年中なぜか試合中も短パンを履いているマッツァンティー二。このエキセントリックな守護神がファインセーブを連発しながらも、キャッチできるボールをキャッチできない事すら売り物にしているような“一芸に秀でている選手”が多かったのです。

 クロアチア代表のFWミラン・ラパイッチは誰にも止められない爆発的なスピードでブッチ切るドリブル突破が武器でしたが、チームプレーはほぼ無視。おそらく自分でも止められないぐらいの突破力で毎試合のように観客を魅了していました。それだけに誰にも決められないような得点も披露していました。トップ下の中田英寿を支えるオリーベとジョバンニ・テデスコのダブルボランチは、ドジャースのバトラー外野手のように職人気質な玄人好みのプレーで攻守を繋いでいました。そして、2006年のドイツW杯優勝を果たしたイタリア代表で、その決勝が現役最後の試合となったサッカー史に残るレジェンド・プレーヤーであるジヌディーヌ・ジダンを退場に追いやり、頭突きを受けたDFマルコ・マテラッツィも当時のペルージャに在籍していました。

 また、ペルージャでのデビュー戦となったリーグ開幕戦で、リーグ2連覇中のユヴェントス相手に中田英寿は2得点を記録したのですが、その初得点をアシストしたジャンルカ・ペトラーキは、現在はユヴェントスと同じトリノ市に本拠地を置くトリノFCで、敏腕スポーツディレクターとして活躍。攻撃的なチームを作るジャンピエロ・ヴェントーラ監督との二人三脚で、予算規模が小さく、近年でも2部リーグと行き来しているクラブを昨季はリーグ7位へ躍進させました。その過程では昨季のイタリア1部リーグで得点王に輝いたチーロ・インモービレ(現・ドイツ1部リーグのボルシア・ドルトムント)とアレッシオ・チェルチ(スペイン1部リーグのアトレティコ・マドリーを経て、現・イタリア1部リーグのACミラン)の2トップがイタリア代表にも選出されており、彼等は今季開幕前に多額の移籍金を残してビッグクラブに羽ばたきました。そして、今季は彼等を放出してもヨーロッパリーグでベスト16まで進出しながら、国内リーグでは本田圭佑や長友佑都が所属する“斜陽の名門”ACミラン、インテル・ミラノよりも上位の8位につけています。

 同じスポーツ・ディレクターとしては、ペトラーキ以上に、ペルージャ時代はDFライン全てをこなせる貴重なバックアッパーであったセアン・ソリアーノが同じイタリア1部リーグ在籍の地方クラブであるエラス・ヴェローナで評価を上げており、ACミランに引き抜かれる噂が1年以上前から上がっています。