ハッキリ言ってかなりの差があった。
2018ワールドカップロシア大会の南米予選で4試合も残して本大会出場を勝ち取った“サッカー王国”ブラジル代表と対戦した我らが日本代表のことだ。
「守備ブロックを敷き、攻守の切り替えが速い。こんなブラジルを見たことはない」
日本代表のヴァイッド・ハリルホジッチ監督や日本の選手達の多くが試合直後にそう答えていた。王国も“新たなブラジル”へと生まれ変わっていた、と。
ブラジル代表は2016年のコパ・アメリカ・センテナリオ(南米選手権100周年記念大会)でまさかのグループリーグ敗退に終わり、当時のドゥンガ監督を解任。2012年に日本で開催されたクラブW杯でブラジルの強豪コリンチャンスを率い、欧州王者チェルシーを破って世界一へと導いたチッチ監督を招聘した。W杯南米予選でも2勝3分1敗の6位と大苦戦していたブラジル代表は、この国民のコンセンサスもとれた監督交代以降に10勝2分無敗の快進撃。1年半前には「ロシアW杯出場も危ない」チームから、今や「ロシアW杯優勝候補筆頭」に成り上がっている。
このV字回復には弱点となった守備の強化ばかりに躍起になっていたドゥンガ時代とは打って変わり、ブラジル本来の攻撃面の良さで守備面をカヴァーしたチッチ監督のアプローチは確かに感じられた。ただ、ドゥンガもチッチも攻守の切り替えの速さを追求していたのは同じで、実際にドゥンガ時代の2014年10月にも対戦している日本のサッカーファンから見れば、ドゥンガ時代も現・チッチ体制のブラジルもさほど変わった印象はない。
何なら2012年のマノ・メネーゼス監督体制、2013年にはフェリペ・スコラ―リ監督体制でも対戦している日本からすれば、この5年ほどでも変わった印象はあまり抱かないはず。しかも、「どのブラジルが1番強かった?」と聞かれれば、現在のW杯優勝候補筆頭のチームよりも、「2013年のチーム」、と答える人が多いような気がする。
攻撃的SBに見られるブラジルサッカー伝統の由来
逆に変わっていないモノが感じられた。それは「ブラジルサッカー伝統の型=<4-4-2>」である。実際のフォーメーション表記で言えば、メネーゼスとドゥンガ時代は<4-4-2>、スコラ―リ時代は<4-2-3-1>で、現・チッチ体制は<4-3-3>の並びを採用しているのだが、原型を辿れば似ているのだ。
サッカーというスポーツが発祥した19世紀から1925年頃までは、このスポーツはその並びから“Vフォーメーション”と呼ばれる<2-3-5>で世界中のチームが戦っていた。ラグビーのようにポジションに番号が割り振られており、当時は先発メンバーが1~11番の背番号を着ていたため、それがそのまま当時の背番号となっていた。(ポジション番号とポジション名は以下を参照。)
そこから英国勢が“3”の真ん中のセンターハーフを最終ラインに下げた“WMフォーメーション”と呼ばれる<3-2-2-3>を採用し、やがて欧州中に広がったとされる。
南米にもWMは拡がっていたのだが、欧州勢は「組織」で「個」の南米勢へ対抗したように、南米も欧州に対して「個」で「組織」に対抗する独自の変化を見せた。それがブラジルである。Vフォーメーションの“3”の両サイドを下げて4バックを発明し、MFの機能を果たす選手を最終ラインの両脇に置いたのである。(下記を参照。注:Vフォーメーション時のポジション名とポジション番号をそのままにして移動形態を表記)
右サイドからはダニエウ・アウベスやダニーロ、マイコン、古くはカフー。左サイドからはマルセロやロベルト・カルロス。タイプは違えど全員が“超”がつくほどの攻撃的SB。彼等がとるポジショニングはサイドバックとは思えないが、上記のような由来から考えれば、ブラジルのSBは攻撃するために存在しているのだから当然なのである。
実際、日本の選手達は特に現世界王者=レアル・マドリー所属の左SBマルセロに手を焼き、日本の1トップとして奮闘したFW大迫勇也は、「後半もマルセロが出ていたらどうなっていたんだろう。繋げるサイドバックが出ていたら、また後手に回っていたかもしれない。」と試合後のインタビューで答えていた。
ある意味、ブラジルサッカーの伝統はサイドバックから感じられるのだ。
ブラジルサッカー伝統の型=<4-4-2>
そして、今は背番号10を着るエースFWネイマールはポジション番号としては11番となる。彼はブラジルのサントスでデビューした頃から<4-4-2>の2トップや<4-2-3-1>の左ウイングを担当して来た。彼は「9番の選手」ではないのだ。