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三ヶ月後にA代表デビューを果たし将来を嘱望されたサドリエ。然し股関節負傷により、やむを得ず24歳の若さで現役を退いたのは’03年。翌04年には英フットボールファンの誰もが驚いたFA杯での快進撃。決勝戦の相手マンチェスター·ユナイテッドがUEFAチャンピオンズリーグの出場権を有していたから、敗れたにもかかわらずUEFA杯の出場権はミルウォールの手中に棚からぼた餅。04-05シーズ、ンハンガリー王者フェレンツバロシュの前に敗退もクラブ史に新たな足跡を刻んだ。
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この頃FA杯ファイナル=栄光の晴れ舞台となっていたのはイングランドの都市ではなくウェールズのカーディフ。そのカーディフでもプレーしたリアム·フィーニー:Liam Feeney【1987年1月21日生】は昨年スパイクを脱いだ。ハマースミスの出身、十代はブレントフォードで研鑽を磨き、08年に加入したボーンマスで大ブレイクを果たした。
聖地ウェンブリーが復活したのは’07年。ミルウォールの選手たちが憧れのピッチに立つのは’13年4月13日FAカップの準決勝。負傷から復帰したばかりのウィンガーにとって、今振り返ればキャリア最高の晴れ舞台。イングランド以外にもアイルランド、北アイルランド、そして父親の母国ジャマイカ代表資格を所持していた26歳には大きな期待が寄せられた。同大会アストンヴィラを破る金星で台風の目と注目されたライオンズもウィガンにファイナルの道を阻まれている。
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結局フィーニーはジャマイカ代表からも声が掛からないままキャリアに終止符をうつ。ジャマイカの協会が招集しなかったのには疑問符がつく。一方英A代表キャップ数54を刻んだグレン·ジョンソン:Glen Johnson【1984年8月23日生】はポーツマス、ミルウォールの両クラブでプレーしている。
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グレーター·ロンドングリニッジ生まれ。ミルウォールでは僅か8試合の出場ながらチェルシーに移籍し開幕戦のアンフィールドでプレミアデビュー。忘れられないのがピッチ上のプレーではなくポーツマス時代の便座窃盗事件(2007年1月)。共犯者とされたベン·メイ:Ben May【1984年3月10日生】はミルウォール生え抜きのストライカー。前年は3試合連続ゴールを決めており其れなりに名の通ったプレーヤーだった。写真は引退前最後のクラブとなったストークシティ在籍時。生活指導の先生から注意を受けそうな不良っぽい胸元が彼のキャラを表している。
グレン·ジョンソンも’19年に現役を引退。後日この件について釈明、ジェレミー·ビードル:Jeremy Beadle【1948年4月12日生】司会の英国版ドッキリだと思っていたのは頷けなくもない。欧州のこの手の番組は巧妙で結構エグい。あれから17年が過ぎて『ベンと便座盗んだ』は古典の笑い話。それでもスーパーの棚でジョンソン社の便座除菌液を目にすると思い出してしまい苦笑せずにはいられない。
さて、アメリカ合衆国でドリームチームと言えば1992年バルセロナ五輪に出場した男子バスケットボールチーム。’84年のロス五輪からプロ参加を公認するレギュレーション変更。面子にかけて《金》を取りに来たアメリカ。現役NBA選手の初参加はセンセーショナルで脚光を浴びた。
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サッカーはこの大会から23歳以下の年齢制限を採用。ジョゼップ·グアルディオラ:Josep Guardiola【1971年1月18日生】とルイス·エンリケ:Luis Enrique 【1970年5月8日生の地元スペイン代表がポーランドを下し金メダルを獲得した。当時エンリケはレアル·マドリー所属、一方ペップは20歳にして“エル·ドリームチーム”欧州制覇の原動力となっていた。
さて、目前に迫ったパリ五輪。次回は書かなければ気が済まないので毒舌ならぬ、毒筆を振るう。[第145話了]