119〗Stadion Rajko Mitić / ベオグラード

紛争を経て観光スポットへと生まれ変わったサラエヴォの五輪跡地

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白熱の冬季五輪 スキージャンプで日本勢を抑えて金メダリストに輝いた鳥人家族のプレブツ兄妹はスロベニアのクラーニ出身。旧ユ-ゴスラヴィアから分裂した国で唯一メダリストを輩出する冬の強豪国。かつて冬季五輪が開催されたサラエヴォ。トレベヴィチ山に設けられたボブスレーの施設は紛争で破壊された後、廃墟にグラフィティが施され今では観光スポットに。開催時ユ-ゴスラヴィアで最も有名な都市になったのは1984年。この年二十四年ぶりフランスにユ-ロが帰ってきた。
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第119話はベオグラードのスタディオン·ライコ·ミティッチ。
日本ではレッドスターベオグラードの名前でお馴染みツルヴェナ·ズヴェズダの本拠地。訪問したのは六年前。フォトグラファ-に貸し出されたビブスにも赤星のエンブレムがついているから
些か誇らしい気分にもなる。取材日のチケットは日付は’19年12月15日。ウィンターブレイク前に延期されていた六節の試合だった。注目していた選手を一人挙げるならば’17年年明けOFKベオグラードユ-スから8万ユーロで獲得したU19セルビア代表ヴェリコ·ニコリッチ:Veljko Nikolic【1999年8月29日生】。16年8月27日、二部リーグ第三節のチェスク·チェラレヴォ戦でトップチームデビューを果たしたのが十七歳になる二日前。チュカリチュキ戦の前月カップ戦とリーグ戦ででツルヴェナでのデビュ-を済ませており、その後は三試合ベンチを温めていたから、そろそろスタメンもあるのかと思いつつ足を運んだら、五試合ぶりにベンチから外される肩透かし。その存在をすっかり忘れており、念願叶ったとは言い難いが、一昨年キプロスでのプレーをフレ-ムに収めた。スタディオン·ライコ·ミティッチは筆者よりも一歳年長。ガタがきており、いつ取り壊されてもおかしくはない。
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1959年12月27日、FKノヴィ·サドとの対戦が旧スタジアムで最後の試合。新スタジアムが建設されるまでは、JNAスタジアム(現パルチザン·スタジアム)を仮住まいに。対戦チ-ムにあわせて近隣の小規模なスタジアムも使用していた。
その間に現在の欧州選手権の前身となるヨーロッパネイションズカップ(ENC)が創設されている。1960年にフランスのパリ、マルセイユの二大都市での大会に出場したユーゴスラヴィア代表は開催国フランス代表と準決勝で対戦。4-5の激闘を制したが決勝ではソ連の前に屈した。
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西にも東にもVISA無しで行ける万能パスポートはチト-政権の全方位外交の証

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しかし同じ社会主義体制でありながらソ連主導の軍事同盟ワルシャワ条約機構への加盟をヨシップ·ブロズ·チトー:Josip Broz Tito【1939年3月生-1980年5月4日没】は拒否している。東西双方の陣営と適度な距離を保つ外交手腕。分裂前のユーゴスラヴィアのパスポートは東西自由に越境できたので世界一便利と言われ、国民もソ連とは比較にならないほど豊かに暮らしていた。
あらためて当時のことを思い出したのは、昨秋のアレクサンダル·ヴチッチ:Aleksandar Vučić【1970年3月5日生】大統領の中立発言。NATOや他の軍事同盟とま距離を置き、露中米の大国や欧州各国とも独自の協力関係を維持するスタンス。ウクライナ紛争におけるロシアへの経済制裁にも加わっていないから反NATOや 親露と表現されてしまうのは本意ではないはず。
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