ブロウチェク氏とテレビ塔
◇◇◇
チェコを代表する音楽家レオシュ·ヤナーチェク:Leoš Janáček【1854年7月3日生-1928年8月12日没】の生誕170周年に当たる本年。代表曲の歌劇『ブロウチェク氏の月への旅』はビール好きの酔っ払いオヤジが月に住む芸術家と絡むストーリー。たしか設定はプラハ城を囲む丘の上周辺=フラッチャニにある居酒屋。初公演も1881年完成のプラハ国民劇場。しかし彼の故郷は東のモラヴィア。
◆◆◆◆◆◆
プラハhlavní nádraží中央駅に到着。西側に隣接した公園の先にはトラムの停車場。2番、7番、9番、26番左から来たらどの車両でも良いから飛び乗れば良い。ワンストップで下車するのだから。フシネツカで降りれば目の前がスタジアムの入り口。プラハ市内に数あるスタジアムの中でも、ターミナル駅からのアクセスが抜群に良いのがスタディオンFKヴィクトリア·ジジュコフ。昨年訪問時に撮影したのがこの写真。《120let》の文字が示すとおり、創立からの歴史を物語る写真と文章が展示されていた。
そのクラブ史に足跡を残した唯一の日本人は中村祐輝:Yuki NaKamura【1987年6月4日生】。’09年ルーマニアのCFRクライオバでプロキャリアをスタ-トし’12年冬にジジュコフと契約、帰国後はFC岐阜とジュビロ磐田でプレ-。’17年は家業を継ぎ中央静岡ヤクルト販売を経営している。
◆◆◆◆◆◆
プラハでジジュコフと検索すれば真っ先に出てくるのがテレビ塔。プラハ城を筆頭に旧市街など世界遺産に登録された街並に即わない異質な建築物。着工は社会主義時代の1985年。塔の高さは216メートル、93メートルの展望台からの眺めは絶景。ホテルにレストランとカフェバーもあるから若者達のデートスポットに。2006年からはジジュコフの市制施行125周年を記念して毎晩ライトアップが開始されている。1881年に市として認めたのは、あの
皇帝フランツ·ヨーゼフ1世:Franz Joseph I.【1830年8月18日生-1916年11月21日没】。120なら兎も角この中途半端に思える125の数字を日本で重要するのは都の西北早稲田大学。創立者大隈重信: Shigenobu Ōkuma【1838年3月11日生-1922年1月10日没】元首相の唱えた『人生125歳説』に基づくからチェコにも似たような偉人がいたのだろうか。
◆◆◆◆◆◆
主催試合に一度だけ足を運んだのは2018年4月8日。チェコ二部リーグ2017-18シーズンの第21節。11位と14位の対戦。黒のユニフォーム、MFKフリーデク·ミーステクはモラヴィア·スレスコ州にある小都市のクラブ。エントランスではビアカップを片手のお二人。その横に表示されているキックオフ時間は10:15の文字が並ぶ。この日だけでなく17節から27節の5試合すべてが同時刻。これはひょっとしてプレス向けの配慮なのか。この日だけで市内三試合を取材できるから居酒屋でのはしご酒ならぬ梯子蹴球。
◆◆◆◆◆◆
フリーデク·ミーステクとの試合から遡ること十二日。このシーズンから新設されたU20エリ-トリーグ·グループ1の公式戦。チェコは3月27日ユトレヒト郊外ザイストにあるKNVBキャンパスで若きオランイェとの最終戦に1-3で勝利。欧州上位8か国のユースリーグで優勝国のドイツ、二位のイングランドに次いで三位でのフィニッシュは褒め称えるべき(四位はイタリア)。
U20チェコ代表のエースストライカーはヤン·クフタ:Jan Kuchta【1997年1月8日生】。ドイツ·ポーランドの国境に近いリベレツ出身。中学年代はスパルタ·プラハ、高校年代はスラヴィア·プラハのユースで研鑽に努め’15年11月ボヘミアンズ戦でトップリーグデビューした時は18歳。