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122〗Kleanthis Vikelidis Stadium / テッサロニキ

アジアカップで日本と対戦したメンバーに目を通すとエブラヒミは’19年にアル·アハリ·ドーハからオイペンに貸し出されカップ戦十六強でコルトレイクに敗れたもののエザトラヒと同じフィールドでプレーしていた。思い起こせば’15年にハリルジャパンとの対戦時のデュオもこの二人だったか。アリレザ·ジャハンバクシュ:Alireza Jahanbakhsh:【1993年8月11日】が今季11月からは、このコラムの第一話で紹介したFCVデンデルEHでレギュラーに定着。ラミン·レザイーアン:Ramin Rezaeian【1990年3月21日生】はカタ-ルの三つのクラブを渡り歩く前はKVオ-ステンデ所属だったし、KAAヘントのミラド·モハマディー:Milad Mohammadi【1993年9月29日生】は’19年のシャルルロワとの開幕戦で途中出場。森岡と久保裕也:Yuya Kubo【1993年12月24日生】の日本人対決が話題になったのがこの試合。一方最終戦ではイラン人対決も実現していたのを覚えている。欧州一の多国籍リーグは日本人はにとっても登竜門。’22年までは同国協会も束ねたのがテヘラン生まれのイラン系フランス人のメフディ·バヤト:Mehdi Bayat【1979年1月6日生】元会長。現在もシャルルロワの経営最高責任者だから日本企業の進出同様ベルギーに氏の同胞が多いのには納得。
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ガレリウスのロ-マがササン朝ペルシアに勝利 凱旋門は歴史を語る

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エーゲ海のテルマイコス湾に面するギリシャ第二の都市テッサロニキ。ローマ帝国、ビザンティン帝国、そしてオスマン帝国時代の名残を感じさせる独特の街並。但し1917年の大火で焼失してしまい再建されて現在は近代都市に。世界遺産にも登録されているのが下写真。ローマ皇帝ガレリウス:Galerius【260年生-311年5月5日没】が303年に完成を命じた凱旋門と霊廟:ロトンダ(写真右)は権力の象徴。ササン朝ペルシアに勝利した記念べきア-チに歴史の重みを感じる。
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このテッサロニキからバスで国境を越えたのはブルガリアのソフィア。その距離は四百八十キロと東京から神戸あたり。深夜発の車中泊で翌朝に到着した。アテネからテッサロニキは二百六十五キロで東京から浜松程度。イスタンブ-ルとの距離が六百キロ弱で三国首都の変形トライアングルにすっぽり収まる位置にある。
イラン·イスラム文明の基盤をつくったササン朝はローマの東方防衛線。アジアから地中海へと勢力拡大していけば衝突は避けられるはずもない。244年、皇帝ゴルディアヌス3世:Gordianus III【225年1月20日生-244年2月11日没】は自ら、現在イラクのバグダッド南東のあたりにあった首都クテシフォン近くまで進出したものの戦死。部下に殺害された説もある。このマッシケの戦いで長い争いの歴史が幕を開ける。前一世紀にローマが征服したかつてヘレニズム世界最大の都市アンタキヤは現在シリアとの国境に近いトルコ最南端ハタイ県の街。250年から253年に占領と奪還が繰り返された最前線。
260年に現在のトルコ シャンルウルファ付近エデッサで両軍が激突。なんと皇帝ウァレリアヌス:Valerianus【200年生-260年没】が捕虜にされる屈辱のロ-マ大敗。そんな劣勢から298年遂に悲願の首都クテシフォンを攻め落としたのだから壮麗な凱旋門も拵えたくなる。
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第122話はアリス·テッサロニキの本拠地ハリラオ地区にあるクレーンティス·ヴィケリディス·スタジアム。凱旋門の面した
エグナティア通りからアレクサンドル·パパナスタシウ通りを   路線バスに乗れば停留所は十二区間。距離は四キロメートルだから歩けなくもない。途中右に見える屋内競技施設はアレクサンドレイオン·メラスロン。主にバスケットボールとバレーボールの試合会場でアリスB.Cの本拠地。アリーナを過ぎて交差点を右折して一本海沿いを南に進めばマケドニア大学の裏側に軍事博物館があり、戦闘機や戦車が屋外に展示されている。負の遺産残しても戦争は繰り返されるのであれば遣る瀬ない。
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