プライベートで日本を満喫 バロンドールを手にしたあのレジェンドが
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インスタグラムにおすすめで、ルイス·フィーゴ:Luís Figo【1972年11月4日生】が年明けに来日し京都の伏見稲荷大社を夫人と訪れた写真が流れてきた。FCバルセロナ在籍時に日本料理店を出店した和食通。禁断のレアル移籍に怒ったサポータ-が投石ならぬ投卵攻撃で閉店しているのは表向き。実際は腕のよい職人が見つからずフィーゴが満足するクウォリティに至らなかった=不くて潰れたのだと察する。2000年にバロンドール:欧州年間最優秀選手賞を受賞した翌年にレアル移籍。
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’05年7月に味の素スタジアムでのジュビロ磐田との親善試合を観戦。後半からポルトガルのレジェンド登場して、ほっとしたのが正直な感想。この日はジネディーヌ·ジダン:Zinedine Zidane【1972年6月23日生】がベンチ入りしておらず、フィーゴまで見れなければ肩透かしは否めない。
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ダイヤの原石を発掘 育成王国の礎を築いたペレイラ兄弟
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五度のバロンドール受賞しており四十歳にして今なお現役のクリスティアーノ·ロナウド:Cristiano Ronaldo【1985年2月5日生】。この二人の傑出したドリブラーの存在とロナウドよりも一つ下の’86年組の台頭によってスポルティングCPは育成の名門として名高い。第四十話で紹介したとおり、アウレリオ·ペレイラ:Aurélio Pereira【1947年10月1日生-2025年4月8日没】はスポルティングCPにリクルート&トレーニング部門を新設した功労者。才能を見落とさず発掘する為、スカウトの全国ネットワーク網構築に着手した。以降リスボン近郊の出身以外にも多くのトッププレーヤ-が緑と白の横縞ユニフォームに袖を通している。ちなみに選手として十三年間スポルティングCPに在籍し、’90年代コーチとしてユースチームを指導したカルロス·ペレイラ:Carlos Pereira【1949年2月23日生】は実弟。
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カバー写真はそのスポルティングCPのマフラー。日本ではスポルティング·リスボンの名前が馴染んでいる。第百七話はエスタディオ·ジョゼ·アルヴァラーデ。
UEFA欧州選手権=ユーロ2004開催国の首都で大規模な地域開発プロジェクト。大仕事を手掛けた建築家/デザイナーは、トマス·タベイラ:Tomás Taveira【1938年11月22日生】。’60年代リスボンで美術を学び、大西洋を越えるとマサチューセッツ工科大学にて地域·都市計画の大学院学位を取得すると、カリフォルニア工科大で教鞭を振るう。’70年代リスボンとサンパウロにオフィスを構え、同国のポストモダン建築を牽引した巨匠。
これほど豊富に彩られたスタンドは中々お目にはかかれない。より際立たせるのはイベリア半島の強い陽光。モダニティとポルトガルの伝統的なアズレージョ(タイル)を融合させたデザインは、一見の価値があった。ところが多色の座席をクラブカラー=緑で統一、屋根の支柱や階段は、’22年に黄色から緑に変わってしまったらしい。
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ファイナルで涙を飲んだ十八歳のモウティ-二ョ
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ユーロ2004では、準々決勝でギリシャがフランスを破る大波乱。ポルトガルが個人的本命推しのオランダを退けてファイナルへの切符を手にしたのもこのスタジアムだった。翌年にUEFAカップ(現ヨ-ロッパリ-グ)の決勝会場に選ばれると、ジョゼ·ペセイロ:José Peseiro【1960年4月4日生】監督が指揮を執るスポルティングは、フェイエノールト、AZアルクマールのオランダ勢を下しての決勝進出。エスタディオ·ジョゼ·アルヴァラーデには四万七千人とほぼ満員の観客。ホームチームはCSKAモスクワに敗れるがフェイエノールトとのアウェー戦からスタメンに定着したジョアン·モウティ-二ョ:João Moutinho 【1986年9月8日生】の欧州デビューを果たした大会として歴史に刻まれる。またこのシ-ズンは全国ジュニア選手権で優勝。原動力となったナ二:Luís Nani【1986年11月17日生】も翌年トップチ-ムから声が掛かる。
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