40〗Estadio Aurélio Pereira / アルコシェテ

連覇と二冠 ヴェルデ·ブランコの歴史にその名を刻んだ邦人

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来夏には北中米開催のFIFAワールドカップ。アジア最終(三次)予選も全日程が終了し日本を含む常連四か国にヨルダン、カザフスタンが勝ち抜いた。日本は主力を温存して臨んだ最終戦もインドネシアに6-0の圧勝。その温存されたひとり、2022年夏にサンタ·クララからスポルティングCPへと移籍した守田英正:Hidemasa Morita【1995年5月10日生】も既に三十歳。昨季に続いての国内リーグ制覇、今季はカップ戦と併せての二冠をも達成。UEFAチャンピオンズリーグ(CL)に目を向けるとマンチェスター·シティに勝利してグループステージを突破したのだから緑白の横縞のユニフォームにもう一年袖を通すことになっても悪い状況ではない。来年はクラブ創設百二十周年の節目となるが栄光のクラブ史にその名を刻んだ。’02年に先駆者 廣山望:Nozomi Hiroyama【1977年5月6日生】がSCブラガに移加入して以来多くの邦人がこの国を訪れてきた。現地のファンと会話しても別格のトレス·グランデスで活躍しているからこそ、ヤポネスではなくMORITAと名前を覚えてもらっているのだろう。
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育成の名門として欧州では名高いこのクラブ。ユースアカデミーのピッチ上ではポルトガル国内だけではなく海を越えて来た才華爛発な少年達が汗を流す。その中でも目を引く褐色の肌はギニアビサウの出身者。
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最貧の独立国で 驚かされるのは勾玉の実だけではない

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北はセネガル、南と南東はギニアに挟まれ大西洋に面した小国は、首都のビサウが国名に添えられている。上陸したポルトガル人による奴隷貿易が始まると、南北アメリカ大陸に向けての中継地として利用されたのがこの港。1963年の独立要求運動から約十年に及ぶ武力闘争の末に独立が宣言された。当時アフリカで独立勢力を支援したのはソビエト連邦やキューバ。一方ポルトガル政府をアメリカが後押しする東西冷戦の時代。独立しても90年代以降は内戦勃発が絶えない。軍の反乱やクーデターによる不安定な政情が、経済発展の足枷となり現在も世界最貧国の一つに数えられる。
基幹産業は天然依存の農業で輸出品目はカシューナッツ。勾玉の木に実るアップルの更にその先に生える姿は異様な光景。マンゴと同じくウルシ科の植物。
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獅子と鷹と世界最強のイヌたち

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そんな国でもフッチボウの人気は高い。十九世紀末から二十世紀初頭ブラジルから帰還した人々がアフリカでのブラジルコミュニティを形成しており、元ブラジル人が多いのだからそれも頷ける。国内リーグは1975年に始まり度々内戦で途絶えこそすれ、一部リーグ十六チーム、二部は十のクラブチームで争われている。過去の歴史を紐解くとかつての宗主国と同じく首都に本拠地を構えるベンフィカとスポルティングが実績で突出しているのは仕方のないところ。地方のクラブが存続していることが不思議でならない。ビサウでも赤と緑のユニフォ-ムの胸には鷹と獅子のエンブレムが縫い付けられている。ちなみに代表チームの愛称はDjurtus:ジュルトゥス。犬科のリカオンのことだが日本ではハイエナとの混同されがちな動物。しかしハンティング能力の高さではアフリカ最強の異名を持つ。
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この最貧国でフッチボウにより富と名声を得た人物としてまず名前があげられるのはカティオ·バルデ:Catió Baldé【1970年1月15日生】氏。80年代からポルトガルに居住しており欧州各クラブに複数のギニア·ビサウ人を売り込んだ同国代理人のパイオニア。出世頭は一昨年のUEFA欧州選手権予選にポルトガル代表の一員として出場したブルマ:Burma【1994年10月24日】。09年にスポルティングCPのユースに加入するとポルトガルU15代表に。2020年には彼の名前を冠した選手寮がリスボンのオディベラス県ヴォア·デ·サント·アドリアオンに完成。デンバ·サノ·スポーツアカデミーで学ぶ為、ギニアビサウからやってきた少年達の受け入れ態勢が整う。バルデ氏と共に建設資金を援助したウィンガーは今季、かつての宿敵ベンフィカSLに加わった。
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