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あの日あの時は■2013年7月22日スーペルリーガ開幕戦エスビャウfB対FCノアシェラン。ツ-トップが揃って二得点の快勝。そのひとりがマルティン·ブライトバイテ:Martin Braithwaite【1991年6月5日生】。当時は前月A代表デビュ-したばかり。デンマ-クU17代表に選ばれた’08年当時はエスビャウユ-ス所属。トップデビュ-は翌09年。写真後方に姿が写っている代表監督のカスパー·ヒュルマンド:Kasper Hjulmand【1972年4月9日生】は、ノアシェランの指揮官を務めている。攻撃陣はこの日沈黙したものの当時タクトを振るっていたのはアンデルス·クリスティアンセン:Anders Christiansen【1990年6月8日生】。前年リンビ-FCからの移籍したばかり、こちらもA代表デビュ-して半年の注目株だった。現在所属するアルスヴェンスカンの強豪マルメFFとは来シ-ズンまでの契約。同クラブでの三百試合出場まで残り十だから達成は充分可能だろう
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オーレスン橋で結ばれたマルメとコペンハ-ゲン間は列車ならば四十分間もかからない距離ではあるが異国には違いない。本年度の幸福ランキングでバルト三国を除く北欧四ヶ国は十位以内にランクイン。輝ける首位は八年連続不動のフィンランド。来年は川上巨人のV9に並ぶかもしれない。五位ノルウェ-、スウェ-デンは七位。お隣さんの似た者同士にも見えるデンマ-クとスウェ-デンの明確な違いがこの僅かなランクの差に反映しているように思えるのは筆者だけだろうか。60年代から移民に寛容な政策をとってきたのがスウェ-デン。実はデンマ-クも歩調を併せ、80〜90年代までは労働力不足を補う目的で移民を進積極的に受け入れていたことで、悪名高いゲットー地区が生まれる。
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西は厳しいデンマ-ク 東は優しいスウェ-デン
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方向転換は2001年の政権交代。従ってエ-レ海峡を挟んで西側は移民に厳しく東側は優しいの構図が二十年負けから定着している。今でも記憶にしっかり刻まれているのは’18年の移民島流し政策。本国への送還不可能な犯罪歴を持つ不法移民、また難民申請が却下された輩を、国内の離島である(スパウエスホルム島)の施設へと移送するとぶちあげたから国連や人権NGO団体から非人道的だとバッシングを浴びたのは七年前の出来事。
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島流しの何が悪い 半端にぬるいのはNG シロクロつけるぜデンマ-ク
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二十一世紀に島流しと聞いて腹を抱えたが、本気の同国政府に拍手を贈った。結局政権交代により実現には至らず。それでもイスラムの顔をベールで隠す行為を、ベルギー、フランス、オラン等に続き禁止する法が施行されたのが同年。それ以降、欧州で最も厳しい移民・難民政策を維持してきたのは間違いない。現在中道左派政権であっても、難民申請者ゼロ ゲットー撲滅をスロ-ガンに移民街の解体している。
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また「宝石法」が施行されたことで、難民申請時、滞在費他の経費として結婚指輪等を除くゴールドや宝石などの貴金属を当局に渡すことが義務づけられ抑止効果は小さくない。デンマ-ク人の気質は一般的に柔軟で包括的。どちらかというと失敗を責めない傾向にある。それでも移民問題に関しては妥協せず、白黒ハッキリさせるデンマ-ク。国旗は白赤の二色で我が国と同じだから見習うべき。
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人道移民政策が若い女性への被害増に直結したスウェーデン
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