サーモンはとラッソーィスィ キャビアはイクラ
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本日、中国への水産物の輸入再開に両国合意の吉報。一方先月国家主席がロシアを訪問した中国。首脳会談で両国の結束をアピールしたが不安も隠せない。そこで興味深いのが世界三大珍味として知られるキャビアの話題。モスクワ訪問時珍しく食事を撮影。生野菜が食べたくなり注文したがサーモンが絶品。ロシア語でラッソーィスィは生食だから当然養殖モノ。筆者が子供の頃朝食は焼き鮭と納豆は定番だったが、お刺身にサーモンはなかった。欧州=ノルウェーから輸入され始めたのは八十年代後半。こうしてモスクワで食事をしていて思い出されるのは、ウェイターさんから業務用のキャビアを土産店の半額以下で買わないかと声掛けされた旧ソビエト時代。乱獲を防ぐ厳格な管理体制を連邦政府が敷いていた頃の話。連邦崩壊によりチョウザメの管理も蔑ろになり闇市場へと流れたから、筆者がレストランから直買いしていた闇キャビアなどカワいい犯罪。三十年以上前で時効成立だからお代官さまご勘弁を。ところでイクラは漢字で幾らと書く。奇妙な気もするが外来語なので仕方ない。日本では軍艦巻やどんぶりでもお馴染み鮭の卵の塩漬けがイクラ。一方語源のロシアではすべての魚卵を指すикра=ikraでキャビアはチョールナヤ·イクラーだから稚児しい。ロシアでキャビアと言っても通じなかった。
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何でも世界一を自慢したがる中国。四川省で養殖している二千万匹のチョウザメは地元政府からの投資の賜物。今や世界の流通市場は本場ロシアから激安中国が奪い、六割以上を中国産が占めているのだとか。案の定ロシアの生産業者からは「安かろう悪かろう」をこの業界でも指摘されているのがメードインチャイナ。中にはロシア産のレベルが張られた店頭に並ぶ中国産もあるかとかないとか。ジョ-クか事実か。第35話はロシアの首都モスクワの北西に隣接するヒムキ市にあるアレナ·ヒムキ。2008年にオープンすると翌年にはカップ戦決勝が行われている。ゲート前には英語表示のプレス案内。ソ連時代を思い返すと、驚くほどこの国ではアルファベットを目にする機会は増えている。
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アマチュアクラブが合併して創設は1996年。ソ連邦の崩壊でヴィシャヤリーガ(ロシア語でトップリーグ)が誕生したのは’92年。FCスパルタク·モスクワが三連覇を達成しているのだがJリーグと創設以降の年月に大差はないのだが、当時のレベルは大違い。’88年のUEFA欧州選手権では準優勝のサッカ-大国なのだから当然。
当時は師走に旧国立でのトヨタカップを楽しみにしていたが、海外のテレビジョン画面でサッカー中継を初めて目にしたのもモスクワのホテルだった。
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古巣に意地を見せる77番の号砲一発
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あの日あの時は■2023年5月13日第ロシアプレミアリーグ第27節FKヒムキ対スパルタク·モスクワ 好天に恵まれ五月でも強い陽射しの下でのデーゲーム。上白下赤のアウェーチームと黄色に黒のホームチーム。ウェアが眩いコントラストを描いているが、両チームの順位も対照的。勝ち点五十で四位のスパルタク相手に勝ち点十八で下から二番目となる十五位のヒムキ。1-1のドローは結果だけ見ればヒムキが健闘した試合に思えるが。前半23分のフリ-キックの好機。壁の右側を抜きゴールネットを揺らしたのは主将章を腕に巻いた77番リジュアン·ミルゾフ:Reziuan Mirzov【1993年6月22日生】の一撃。アーセナル·トゥーラで頭角を現し代表初招集は2019年。移籍先のスパルタク·モスクワでは期待さられ九番のユニフォームが手渡される。翌20/21シーズン開幕前に、その九番を新加入のアレクサンドル·ココリン:Aleksandr Kokorin【1991年3月19日生】に譲り自身は七十七番の背番号に変更。このエピソ-ドからもファンの期待に応える働きが出来なかったことがわかる。思い出されるのは十月にスパルタクからヒムキにレンタルされての二試合目=十一節。前月までの同僚たちと早くも対戦。この試合で決めたゴールから数えて古巣相手に四点目。古巣に恩返しどころか、滅法強い。翌週のロストフ戦も先制点で勝利に貢献。スパルタクでは合計三十三試合に出場してゴールは一得点のみだったから不本意な記録をヒムキに移籍から僅か三試合で上回った。
試合は予想通りスパルタクが優勢に進める展開。八分にアントニ·ジンコフスキー:Anton Zinkovskiyが最初の決定機を演出するた以降左から右サイドへシフト、スパルタクの攻撃を牽引する。26分にスパルタクもフリーキックをもぎ取り主将のクインシー·プロメス:Quincy Promes【1992年1月4日生】がボールをセットしたが右足から放たれらボールは惜しくも枠を捕えきれず。
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