105〗Ümraniye Belediyesi Şehir Stad /イスタンブール

到着時間はいつになる ブルガリアからの国境越え

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前回トルコ国内の「陸路移動は避けましょう」と締め括ったが、このテキストの前半は、ブルガリアのソフィアから国境を越えイスタンブールへと戻るバスの車中で書いている。ギリシャのテッサロニキから乗った客の多くがソフィアで降り、入れ替わるようにソフィアから乗り込む乗客数は然程でもない。かつてこの国境こそ西と東の分水嶺だった。1952年ギリシャとトルコと仲の良くない両国ではあるが西側のNATOに加盟。後にワルシャワ条約機構の一員=東側のブルガリアから強制的に帰国を命じられたのがトルコ人。その数は十五万人を上回り大半をイスタンブールが受け入れたから住宅が不足し不法占拠が横行してしまう。
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国境でバスから下車して旅券にスタンプを押してもらうのは懐かしくも、今や貴重な経験。不法入国者でも同乗していたのか、入国審査の足止めで二時間以上到着が遅れ少々肝を冷やした。
確かにこの両国間を移動するとあらためて気温差だけでなく、独自の通貨、人種·宗教·文化·言語…と民族的な違いを強く感じさせられる。協定加盟国間の国境を自由に通過できるシェンゲン圏が誕生したのは1985年。EUの内務相理事会ではクロアチアの参加は認められたもののブルガリアは否決されたまま。テュルグト·オザル:Turgut Özal【1927年10月13日生-1993年4月17日没】政権が推進したのは経済の自由化。この改革はトルコ社会に大きな変化をもたらし、イスタンブールの人口を急増させる。トルコにおける八十年代の民主化は、形式的な議会制民主主義の段階。軍は変わらず政治における影響力も維持していた。
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国連経済社会局が面白い発表をしている。中東の都市別人口ランキングはイスタンブールがトップで1,500万人超え、二位のテヘラン(イラン)は一千万に届かず、サウジアラビアのリヤドが続く。フットボールファンからすればUEFAに加盟するトルコは欧州でも、国連がEU非加盟ならばと中東側に括るのも頷ける。
実際に足を踏み入れてもイスラム教徒が大多数を占めており、モスクたらけ。それでもに欧州を感じられるのは建国の父ムスタファ·ケマル·アタテュルク:Mustafa Kemal Atatürk【1881年5月19日生-1938年11月10日没】が、オスマン帝国のイスラム的支配から解き放ち、1937年に世俗主義=ライクリキを憲法に記した功績。この世俗主義によって政教分離を貫くにはイスラムの暴走を抑制するための軍の武力が不可欠だった。ここがトルコという国の面白いところで、独裁者と軍の政治介入と聞けば圧倒的にネガティブなイメージしか浮かばないが、この国に関しては良い独裁者と軍事力によって近代化を成し遂げている。他のイスラム圏ではご法度の飲酒が認められ、こうして朝から街中でEFESを喉に流し決めるのも世俗主義の賜物なのである。
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ところがイスラム化を進めたいのが現大統領のレジェップ·タイイップ·エルドアン:Recep Tayyip Erdoğan【1954年2月26日生】。イスタンブールで生まれ育ち、’94年に市長として政治家のキャリアをスタートした。そのイスタンブール市長時代に、詩を用いてイスラムを賛美したことで、’98年に四カ月もの間刑務所に収監されていたから、いかに政教分離が徹底されているのかがわかる。九十年代になるとイスタンブールの人口増加に拍車がかかる。主に東部など国内の他地域からの流入によるもの。’52年の強制帰国からエルドアン市政までの間、つまり70~80年代に、アナトリア地方の農村部からの移住で人口が急増して商業地区が急速に発展したのがウムラニエ地区。公共施設に民間のショッピングセンターと主要銀行の支店。宿泊はダブルツリーbyヒルトン・イスタンブールとメルキュールが利用できる。うちの息子は兎も角、筆者にはおおよそ 縁のない豪華五つ星。
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イスタンブール最大の行政区を 三千五百人収容のスタジアムから見下ろす

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