17〗Szusza Ferenc Stadion / ブダペスト

学術 文化 芸術又はスポ-ツ

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明日から年度が変わる三月末日。中·高·大の新入生は間もなく新たな学び舎へと足を運ぶ。部活やサークルで新たな出逢いを期待したのは頭お花畑の自分達世代、今の若者は現実的でお気楽ではないかもしれない。体育会系と文化系、対義語としてよく用いられる言葉。過去に特定非営利活動法人=NPO法人の立ち上げに参画しており同法では活動分野を二十一項目に分類していた。我々の組織が『学術、文化、芸術又はスポーツの振興を図る活動』に該当するとして、内閣府の認証を得て活動したのは二十年も前になる。
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この法令条文だけ見ると学術、文化、芸術がひとつのグル-プで、スポ-ツだけは別ものと解釈できる。スポ-ツでも格闘技は、他の団体競技と些か趣が異なり、それが武道になると文化的要素が含まれてくる。心や礼儀を重んずる武士道の精神が尊ばれる旧東欧の中でも、特にハンガリ-では人気が高い。写真はウーイペシュト·トルナ·エジェレト=UTEの柔道場。創立は1885年だから今年は百四十周年。当初は四十人のメンバーからなる体操チームが母体。同時期に結成されたフットボ-ルクラブと後に合併。1920年代にはフェンシングとボクシングが開設された総合型スポーツクラブは、その後も競技種目の幅を広げ、現在はE-sports部門まである。
柔道の他にも空手、’05年からはテコンド-も指導している。柔道場の窓枠もクラブカラ-の紫色の塗装が施されており、窓ガラスにはスタジアムの屋根が映るほどの近距離。
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第16話はウーイペシュトFCの本拠地シュシャ·フェレンツ·シュタディオン。十九年間の現役生活をこのクラブ一筋で過ごしたストライカ-。メインスタンドを仰げば、薄紫に白抜きの文字で記されたその名前に目を奪われた。シュシャ·フェレンツ:Ferenc Szusza【1923年12月1日生-2006年8月1日没】は引退後に二度監督として愛着のあるクラブと関わった。’05年一部リーグ昇格以降、降格したのは僅かに一度だけの名門で熱狂的なサポ-タ-に支えられている。
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ひとりではなかった古代ギリシャの女神ミューズ

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古代ギリシャ神話に登場するミューズは 文芸/学術/音楽/舞踏とすべての芸術を司る女神。ひとりではなく九つの各分野にミューズが九人いる。つまりミューズは個人名ではなく現代ならば差し詰めTWICE:トゥワイスだろうか。昨年の日産スタジアムでの公演を収録したDVDが発売されたばかり。古代のミューズに話を戻すと、崇拝するギリシャ人達によって1870年自国内で開催されるオリンピックには芸術競技という概念が持ち込まれた。ストックホルム(1912年開催)から文学/絵画/建築/彫刻/音楽が芸術競技種目として登場している。
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作品の課題は『アートとスポーツのつながり』。建築部門で金メダルを獲得したのは、モルジュ出身のスイス人ウジェーヌ·エドゥアール·モノ:Eugène-Edouard Monod【1871年6月16日生ー1929年11月9日没】とフランスの東端、イタリアと国境を接するサヴォワ出身のアルフォンス·ラヴェリエール:Alphonse Laverriére【1872年5月16日生-1954年3月11日没】の二人。パリの芸術アカデミー在学中に意気投合し1902年にローザンヌに建築事務所を構えた。開催される前年、ラヴェリエールはスイス国籍を取得(※父親がスイス人)することでスイス代表としての出場資格を得る。彼らの作品は近代オリンピック都市計画。