日航機墜落で帰らぬ人となった国民的エンターテイナー
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桜を背景にしたカバ-写真。JR南武線の車窓から見事な桜並木を拝める季節を迎えた。宿河原駅から二ヶ領用水沿いは首都圏でも屈指の桜電車を楽しめる。終着駅の川崎で東海道線に乗り換える際、ホ-ムではお馴染みの発車メロディ『上を向いて歩こう』と職員さんのアナウンスが耳をかすめる。歌手の坂本九:Kyu Sakamoto【1941年12月10日-1985年8月12日没】さんが日航機墜落事故で逝去されたのは1985年。米ソの首脳会談が実現し世界は大きく畝り出していた。
スロバキアの首都ブラティスラヴァから列車で三十分。距離にすると50km強ならば川崎の等々力スタジアムから埼玉スタジアムにまで行けるか。’14年に改築を終えたトルナヴァの駅舎は小さな空港のターミナルにも見えなくもない。スロヴァキア西部に位置する同市の人口は国内七番目の六万三千人。下写真は駅売店で購入した新聞とズラティー·バジャント(黄金の雉)のロング缶。この銘柄もハイネケン傘下にあり、近隣国のスーパーの棚で見掛ける機会は多い。
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醸造所はブラティスラヴァの南東100kmの小さな町フルバノヴォにある。スロバキアの国土の大半が山岳地帯。南に国境を接するのは平原国のハンガリ-。ブラティスラヴァやトルナヴァ、このフルバノヴォがある南部は乾燥しているからホップ栽培にも適している。1970年頃までは麦酒の銘柄となった金雉もブラティスラヴァ周辺に生息していたらしい。ニトラ県のフルバノヴォから最も近い大都市は県都ニトラではなく国境を越えたジェール。十三万人が住むハンガリーでは六番目の都市。
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上写真はジェール駅のホームでショプロン行の列車に乗車する直前。オーストリアの国境に南北西と囲まれて飛び出しているように見えるのは第一次大戦後、この地域の帰属を住民投票で決定したため。周りはオーストリアを選んだのに、ショプロンだけがハンガリーに。スロバキアのトルナヴァ、オーストリアの首都ウィーン、そしてハンガリーのジェールを線で結んだトライアングル。そのほぼ中心にブラティスラヴァが収まる位置関係。
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第19話は 名前のインパクトだけなら欧州トップクラス、その名もシュタディオン·アントナ·マラチンスケーホ。同市出身の名将アントン·マラチンスキー:Anton Malatinský【1920年1月15日生–1992年12月1日没】の名前を冠する。《マラチン》と聞いて日本人男性が股間に目をやるのは仕方ないとしてモンゴルではマラチン=Malqinは放牧者を表す言葉。マラ=Malは。モンゴル語で家畜を意味する。
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モンゴルを退けたルーシの末裔たち
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モンゴル帝国のヨーロッパ遠征軍と、ポーランド·ドイツ連合軍が激突したのは1241年。場所はハンガリーとスロバキアの国境に近いポーランドの南西部。現在ポーランド第四の都市ヴロツワフは崩壊した。ウィーン近くまで猛威は迫り風前の灯と思われたが、皇帝が急死したことでモンゴル軍は撤退した。14世紀後半にリトアニア大公国がモンゴル軍を撃破すると内紛により大帝国は衰退していくのだが実はこの大公国リトアニアは名ばかり。リトアニア人は少数派で、多数を占めたのは東スラブ系のルーシ人。このルーシ人は、のちのベラルーシ人やウクライナ人の先祖である。現在ロシア相手に一歩も引かないのは受け継がれた血のなせる業か。
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2015年8月22日にリニューアル·オープンしたスタジアム。一周年を祝いマラチンスキーの銅像の除幕式が行われた。スタジアムに向って61号線沿いの緑道をひたすら北に歩む。途中見かけた銅像·モニュメントはプレスブルク(現在のブラチスラヴァ)で神学を学び、標準スロバキア語を大系化した偉人。商業施設とスタジアムが一体化、クリスマスイルミネーションと買い物客の装いで華やか賑やか。取材した試合はUEFAネーションズリーグのウクライナVSスロバキアの東西スラブ対戦は興味深い。
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